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「若葉・九条の会」ニュースレター第12号
(2007年4月26日発行)
「日本国憲法」施行六十周年によせて
国民主権、基本的人権と民主主義に反する「改憲手続き国民投票法案」を廃案にしましょう。
21世紀、憲法九条が世界中に広がることを願います。
今から60年前、「新しい日本国憲法」が、国民の熱狂的な支持のもとに施行されました。以来、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」の3原則は 私たちの<平和な暮らし>と<人として自由に生きる>ことの支えでした。
しかし、安倍内閣は、大多数の国民が、審議が不十分だと考えている「改憲手続き国民投票法案」を衆議院で強行採決しました。
この国民投票法案が成立しますと、法が施行される3年後には私たち国民は、憲法九条を守り「平和国家として、武器によらない国際貢献をしていく国」であり続けるのか、憲法九条を捨て去り「軍隊を外国にまで送る国」になるのか、二つの道の選択を迫られることになります。
みなさん、この記念すべき日に、「戦後の焼け野原の風景が、被爆体験が、憲法の原点」(鶴見俊輔氏)だったことを思い出して、平和について、核や戦争の恐ろしさについて、子どもたちの未来について考えて見ましょう。
私たちは、「二度と戦争はしない」、「他国を侵略しない」、「全世界の国民が恐怖と飢えから解放されるようにする」ことを誓って、この憲法を日本国民と世界に向かって公布し施行したことを、忘れません。
3月若葉九条の会例会(総会)報告
3月若葉九条の会総会を開催しました。お彼岸で何かと忙しいなか、30名の会員が参加し、熱心な討論がなされました。おおよその内容をご報告します。
日時:2007年3月21日(水) 13時30分-16時30分
場所:みつわ台公民館講堂
参加者:30名
司会:小宮豊治(渉外担当世話人)
議題並びに討議事項
1.開会挨拶並びに改憲をめぐる情勢報告 木村忠彦 (スペースの関係で項目のみ)
1)改憲手続き法案について、
(1) 国会等の動き、(2)改憲手続き法案の問題点、(3)国民に知らされていない法案の内容
2)安部晋三首相の考えとその弱点
3)安全保障についての国際的流れと日本 の安全保障
4)大きく且つ着実に発展する改憲反対運動:「九条の会」
2.若葉九条の会2006年度活動報告 藤木武夫(事務局担当世話人)。会員は106名(呼びかけ人73名)から118名(呼びかけ人81名)に増加。例会を6回、九条と平和の夕べ、新春平和のつどい、教育基本法学習集会を各1回開催した。延べ約520名の参加があった。これまで一度でも会の催しに参加して頂いた人数は約300名である。会誌「若葉・九条の会ニュースレター」をNo.6からNo.11まで各300部発行した。
2006年11月3日「日本国憲法公布六十周年によせて」のチラシ約6,000枚を各戸配布。また都賀駅、みつわ台小売市場において街頭宣伝。以上の他に、県九条の準備会、千葉市九条の会、「日本の青空」上映相談会などにも会から参加してきた。その詳細についてはその都度ニュースレターに報告してきましたのでご参照下さい。
3.今後の活動について 鎌倉淑子(副代表世話人)、小野寺力(庶務担当世話人)が、今後の活動の提案を行った。
①当面の課題
●国民投票法案に反対する活動 ○教育九条の会、年金者九条の会等との
学習集会(5月6日予定)を開催する。○ 署名活動、国会議員、国会への要請 活動等を行う。
●憲法施行60周年ウイーク一斉行動○街頭行動:チラシ配布、シール投票 場所の候補:JR都賀
駅、モノレール千城台駅、みつわ台小売市場、動物公園等、
●「日本の青空」上映運動の取り組み
○7月15日若葉文化ホール上映会 (500×2=1000名)を成功させる。6月中頃に100-200名規模の試写会を。(協力者を招待)
● 6月16日(日)千葉市内九条の会共催の佐高信講演会を成功させる。
● 改憲反対世論を高める活動(「国民の過 半数」獲得を展望して
○憲法について普段考えたこともない人に知らせる活動をやろう
● 学習活動
○テーマの例が沢山出されました:日本および世界の安全保障、テポドンが来たら、経済と戦争、天皇制、改憲勢力のイデオロギー、かってはどういう時代であったか、世界における日本国憲法、憲法が生活とどうのように関係しているか、科学、文学、戦争体験、等々
○戦争を知らない世代へ伝える活動、子
供たちの中で語る場を持てないか。
○映画・ビデオの活用:「映画日本国憲法」、「戦争をしない国」等々
●若葉区全域に「九条の会」を広げる活動
○現在若葉区内の九条の会は、若葉九条の会(120名の会員の8割以上がJR総武線以北に集中)、教育九条の会(主に千城台およびその周辺でで活動)、若葉区年金者九条の会、であり、広大な若葉区の殆どの地域に会員がいない状況である。
○若葉区の中に、若葉九条の会とは独立に、
地域九条の会が必要ではないか?これは今後の検討課題。
●会の運営
○総会を年1回開催し、1年間のまとめと次1年間の活動目標を立て。会計報告、
世話人の選出することになった。③次期世話人は現在の世話人が継続§ 総会の自由討論で発言された齋藤さんにその要旨をご寄稿いただきました。
「憲法9条について考えること」―その「総論」と「各論」― みつわ台 齋藤博子
1942年6月5日、父は空母「蒼龍」で亡くなった。父は、自分の子供が生まれる事も・娘が生まれた事も知らない。私は物心つくころから、戦争を憎んでいる。個人的な原因を含め、侵略や戦争はするべきではなく、絶対にしてはならない。私も憲法9条を守ることに、「総論」賛成である。「戦争反対」、これは誰もが思い・願う事であり、「言うは易い」のだ。
然しである。愛する家族・殊に子供が、殺されたり又殺されそうになったら、守らずにいられようか。まざむざと蹂躙されるままにさせておくのだろうか。皆さんに問いたい。私は「否」である。必死で攻防するし、もしかしたら先制攻撃をし、相手を殺してしまうかもしれない。世の中には無法者も多く、それに対し、全く無防備ではいられない。愛する者(物、生き物を含めて)を守るためには、自分の命が失われても、戦う。例え攻防であれ戦いは戦いであり、憲法9条は個人的には守れない。これは、「各論」では、判らない・もしくは守れないと言うことであり、「行うは難し」である。
「総論」と「各論」が異なるこのギャップをどの様に考えたら良いのだろう。この文章をお読みになった皆様、是非、憲法9条の基本的な考え方と共に教えて頂きたい。
<広報部より>
齋藤さんの上のご意見に対して、反論、感想などありましたら編集部まで是非お寄せ下さい。メールアドレス:鎌倉
「千葉県9条連の会」に参加して
それは全くの偶然からの始まりでした。去る3月21日に行われた当会の例会で販売されていた「みんなの憲法」と言うタイトルの本。これまでに何冊も同じ趣旨で編集された本を読んでいて、いまさらと言う気持ちでページを繰っていたら、ふと「音楽」と言う言葉に目が止まりました。環境と護憲の活動を続けている歌手の早苗NeNeさん。新曲「サヨナラ戦争」。早速、CDを購入し聴きました。「目から(耳から) 鱗」とはこのことです。独断で、千葉に来てもらえるかどうかを打診したところ、4月21日に「千葉県9条連」の会で千葉には行くとのこと。インターネットで九条連のサイトを探し、4月21日の午後、生涯学習センター地下のホールに行って来ました。
イントロが長くなりましたが、皆さんは9条連と言う言葉を聞いたことがあるでしょうか。 「憲法9条−世界へ未来へ連絡会」が正式名で1995年8月に結成された全国組織です。私はホームページ立上げの時より、関連サイトにリンクを張る関係で、全国にある様々な団体の動きを表面的にはフォローしてはいました。しかし、その会の千葉支部がどんな組織でどんな活動をしているかについては知る由もありませんでした。
当日は、「戦争をしない国日本」(監督:片桐直樹)短縮版の上映、金子勝氏(鈴木安蔵氏の直弟子で現在立正大学教授)による講演「改憲で日本はどんな社会になるのか=憲法の“語り部”になるために=」、NeNeさんの歌とトークと続いたのですが、2時間半があっという間のひと時でした。映画のことは紙面の関係で割愛しますが、金子氏は、ちょっと漫談調で随所で笑いを呼びおこしながら、「国民運動の一体化」を如何に速やかに効率よくするかに全てがかかっていると明確な語りぶりで力説、「九条の会」と「9条連」が未だに充分な話合いの場を持っていないことへの苛立ちに触れ、参院選に向けて党や思想の壁を越えた候補者選びの緊要さを訴え、その他にも新聞紙面等への投稿の推進、国民会議の設置等など盛り沢山な提案がありました。全ての改憲反対グループが、小を捨てて大を取り連帯することの必要性を感じている一人として胸を打たれるところ誠に大でありました。NeNeさんの部は、若者の持っている「地球市民」感覚に触れることで彼等を改憲反対の仲間として共に歩める可能性は大きいとのトークに続き、全員参加での「サヨナラ戦争」の合唱、最後は、彼女自作の「君が代」の替え歌「民が代」で幕を閉じました。
偶然から始まった今回のエピソードで感じたこと。情報の公開、交換がかくも充分でなく活用されていないか;あらゆるメディアを介した情報共有が如何に必須であるか等でした。 (崎山 樹)
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「若葉・九条の会」ニュースレター 第11号
(2007年3月12日発行)
若葉九条の会の皆様
今年は日本国憲法施行(1947年5月3日)60周年の年です。
この年が、会員一同協力しあって、「九条の会」の飛躍の年になることを心から願っております。
おかげ様で、新春平和のつどい(1月28日)は、120名近い参加で大変楽しいつどいになりました。美しいメゾソプラノ独唱、柔らかく伸びやかなファゴットの響き、明るい女声合唱、「千の風になって」の全員合唱、いずれも楽しく感銘深く、これからの1年間の九条の会の活動にエネルギーを与えてくれるものでした。(参加者の声は以下のページにまとめました) 。




一方、安倍晋三首相は、年頭談話、所信表明演説などにおいて、「自分の任期のうちに憲法を改正したい」と改憲への強い意志を表明しました。開会中の通常国会において、改憲国民投票法案を、強行成立させることも目論んでいます。
私たち「九条の会」の運動は、たとえ国会において改憲案が成立し国民投票にかけられた場合においても、圧倒的多数の改憲反対投票で否決することを目標にしています。若葉区の地域にこのような状況を作り上げていくために、私たち「若葉・九条の会」会員の知恵を出し合って行きたいと思います。
つきましては、下記の通り若葉・九条の会総会を開催いたします。祝日で色々ご予定があるとは存じますが、多数の会員の皆様のご参加をお願い申し上げます。
若葉・九条の会世話人
日時:2007年3月21日(水)13時30分―16時
場所:みつわ台公民館講堂
テーマ:―憲法九条を護り生かす運動を広めるにはどうしたらよいか-
1. これまで若葉・九条の会の行ってきたことのまとめと到達点について。
2. 改憲をめぐる情勢について。
3. 若葉・九条の会の活動の見通し、1年間の目標について。
「新春平和の集い」
参加者の声
アンケート集計の結果
参加者約120人。回答26人
1 コンサートについて
・心おだやかにコーラスの歌声に聞きほれました。いつまでも平和であるように願いながら。メゾソプラノのひびきは素晴らしいですね。ファゴット初めて聞きました。とてもよい音楽会でした。
・何ともいえぬ至福の時を過ごせました。
・会場はコンサートには適していないのでは。
・九条上総弁がユーモラスに戦争反対をうたっていて、おもしろかった。
・ザボンがよかった。
・去年にもまして素晴らしい演奏で感激しました。平和であればこそ楽しめます。
・浪岡さんのこの集いにふさわしい選曲に感激しました。
・浪岡さんの人柄にほれました。フアンになりました。
・つい口すさんでいたり、ハミングしたり,皆の合唱も良かったです。
・ファゴットのやわらかい音が素晴らしかった。
・浪岡さんの「ザボン」の朗読に涙がでました。
・ファゴットは自然の中で遊んだ懐かしい情景を想い浮かべる、そんな音色で素晴らしかった。
・高度で格調あるコンサートでした。
・ファゴットのそのやさしい音調にしびれました。
・九条上総弁はよかったです。浪岡さんの「ザボン」は印象的でした。
2 全体を通じての感想
・次回も参加したい。
・コンサートに続いて平和の訴えはよかった。
・参加して改めて平和への思いを強くした。
・1部と2部は反対でもと思った。クラッシックでないものも入れて欲しかった。
・落ち着いた様子でよかった。
・皆で一緒に歌えたのがよかった。
・去年よりずっと楽しめました。
・若者の参加が少ないように感じましたが、企画内容とてもよかったです。
・九条を考える会がこうゆう機会を増やしていくと、改めて憲法のこと,これから生きる人たちのためにもしっかり考える事が増えると思います。
・この集いが広がってほしい。
・家族を誘えばよかった。
・手づくりの集いとしては及第点以上でした。
・歌うかた,演奏するかた、そして聴くかた共に平和を願っている。その思いが伝わる、とてもいいコンサートでし
た。
・雪の昨年を上回る参加者あったのが一番よかった。九条の守る輪の広がりを実感できて心強かった。
3 あなたの平和への,または憲法九条へのメッセージをどうぞ
・子どもを産むにあたって私は、子ども達が戦争に手を貸すことことのないようにと願っていました。絶対に九条を
守って行かなければと思っています。
・世界中が戦いにないように、子どもたちの笑顔が世界中に行き渡るような世の中に!
・ 戦争はいやだと微力ながら、あっちこっちで言っていきたいと思います。
・子どもたちを戦争に行かせないために、憲法九条を守りたいと思います。
・九条を今の時代に合わないからとという理由で変える事は出来ません。子どもたちを戦場に送る事は絶対にして
はいけません。
・NO MORE WAR!この一言につきます。
・四街道にも九条の会があります。一緒に平和への戦いを進めていけたらと思います。
・戦争のない世の中にするためにも改憲は止めたい。
・殺人は悪いと言いながら、戦争は正義の名のもとにひとをころすことです。絶対に許せません。
・平和のありがたさを確認しながら、道をはずした生き方を正せる国民になれるように。
・桜の花が咲きはじめるころ、上空に日本の戦闘機がきました。私たちが手を振ると羽根を振って答えてくれました。それから夏に終戦になりました。食べるものもなく、ハダシの生活。よく生きてこられた。戦闘機の人はどうなったか?子どもたちにあの生活はさせたくない。九条は守る!
・老人の責任として戦争の悲惨さを訴えつづけたい。
・小学生のとき戦争を体験しました。日本は世界で唯一の核の恐ろしさを経験した国です。再び戦争を起こしては
ならない憲法の改正には絶対反対します。
・知らない世代に地道に伝える努力をしたいと思います。
・戦争への道はダメ。美しい国よりえりを正して美しくなってほしい。
・平和への思いは強く。憲法を守りたいとの意志は強固です。
・今こそ,九条を守る声を大きくし,一人でも多くの人の声を
4 集いを何で知りましたか
・ニュースレター:7 会員からの誘い: 6
・案内チラシ:12 地域新聞:1
・東京新聞:2 その他:3
5 地域別参加者数
みつわ台:45人、都賀の台2:4人、東寺山:4人、西都賀:3人、桜木町:4人、千城台:3人、
御成台:3人、原町:2人、若松町:1人、愛生町:1人、その他:15人(稲毛区4人、中央区4人、花見川区2人、美浜区1人、四街道市2人、袖ヶ浦市、佐倉市各1人)
憲法関連お出かけ情報
5月1日から 憲法週間
「若葉・九条の会」でも行動を企画しています。
5月27日(日) 午後「九条の会・ちばけん」
発足講演会 市民会館 講師:早乙女勝元さん
6月16日(土) 千葉市内九条の会
合同講演会 佐高信さん(実行委員会)
場所:未定
「日本の青空」試写会・上映会日程
http://cinema-indies.co.jp/aozora/
5月12日(土)10時40分/14時 千葉県教育会館
5月18日(金) 午後・夜 船橋市勤労市民センター
6月8日(金)船橋文化ホール
6月15日(金)市川市民会館
6月23日(土)松戸市民会館大ホール
7月15日(日) 午前、午後 2回(予定)若葉文化ホール
9月2日(土)市川市民会館お願い:
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「若葉・九条の会」ニュースレター 第10号
(2006年12月28日発行)
語り継ぐ 第3回
「戦争は絶対に嫌だと声を上げよう」お話:信太 正道さん 2006年10月22日
私は2000年12月23日に「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」を設立しました。2割の国民が厭戦気分になれば戦争計画は取り止めとなると考えるからです。
・憲法9条2項が殺されたらどうなるか?
・敵が攻めてきたらどうするんだ?
これが今一番問題です。これからのことが。しかし今、安部首相は「美しい国」なんて言って、絶対に醜い過去を隠したい、消したいようなので(従軍慰安婦問題の放映でNHKに圧力をかけた)古いことを忘れないように、言わなければならないのです。
教育基本法を変えて愛国心を植えつけて美しい国をつくるといっています。<憲法9条を殺す> これが「美しい国」の中身です。
私は、純粋の職業軍人です。1941年12月8日、真珠湾攻撃。1942年、海軍兵学校入校。飛行機乗りに憧れ「無敵海軍航空隊」に。1944年「神風特別攻撃隊」がつくられ1945年、特攻隊員に指名されました。死刑の宣告と同じです。職業軍人のエリートであっても、みな命は惜しく、死は恐ろしく“天皇のために死ぬ”のは本音ではなかった。面会の時、母は「特攻隊をヤメテ!」といいました。敗戦の2週間前海軍少尉に昇格。本音ではない遺書を書き前線基地に移動中8月15日、敗戦。9月帰郷した時、私を見て、母は「生きてる、生きてる」と絶叫しました。 戦後、大学卒業。海上保安庁勤務。朝鮮戦争時の機雷掃海に従事。米軍の要求です。掃海艇一艘が機雷に触れ死者を一人出している。「厳秘」で国民には知らされなかった。日本の再軍備は、(海上警備隊、海上自衛隊、航空自衛隊を見てきて)まさに「小さく生んで大きく育てろ」で今日まで来た。
航空自衛隊から日本航空に移り定年退職。日航時代、米人機長の言葉 「戦争で部下に危険な仕事を命じても、百分の一でも生きて帰れるなら罪ではない。でも、生還を許さない特攻を命じた者には殺人罪が成立する」を聞いて、目覚めた。
1994年11月3日、読売新聞の憲法改正私案を読み慄然としました。
1995 日米安保再定義→防衛計画の大綱1996 日米共同宣言
1999 周辺事態法
2003 有事法在日米軍再編 自衛隊再編 憲法9条を殺す→自衛隊から米衛隊へ。
では、いま、どうすればいいか?
1)二度と戦争は厭!と言おう。 改憲、有事法制と言うソフト、軍隊や武器と言うハードがあっても、戦うと言う国民のスピリットがなければ戦争はできない。非国民の薦め。
2)「備えあれば 憂え有り」武器を持たない。交戦権を持たない。9条2項が殺されたら、その上に支えられている人権、福祉、教育は全滅することを伝える。
3)憲法9条の運命は5000万人の中翼の人々の判断にある。誰と憲法9条の話をするのか、わかり易く話すことを考えて頂きたい。
4)いかなる戦争も「脅威」と嘘から出発5)憲法改正国民投票の準備をしよう食べやすくおいしい毒饅頭 参照 信太 正道さん 「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」http://www1.odn.ne.jp/ensenshomin/ FAX 0467-22-1948「最後の特攻隊員」――二度目の遺書 信太 正道 著 高文研 1998年刊 1800円
語り継ぐ 第4回
<証言>第731部隊の実像 お話 篠塚良雄さん 2006年11月26日
木村:本日は、篠塚さんに731部隊のことを話していただきます。当会会員の佐藤二郎さんから、ご紹介をお願いします。
佐藤:3丁目の佐藤です。篠塚さんは大正2年、茂原生まれ。当時農村では、学校へ行くのは容易なことではなかった。向学心にもえる篠塚少年が、731部隊という経験をすることになるのですが、戦後「時代を逆戻りさせてはいけない」と勇気をもって謝罪し、証言していられることを尊敬しています。
◇ 篠塚です。もう84歳になりますが、平和を守っていかねばならないという気持ちはますます強くなります。私は1923年生まれ、親は野菜つくりの百姓にしようと実業学校(農業科)に行かせました。が1年生の時、石井部隊隊員募集の試験を先輩に誘われて、親にも内緒で受けて合格、「4月1日陸軍医学校防疫研究室に来い」(1939年)との通知が来ました。それは東京の牛込区(現在の新宿区)戸山町にありました。「お前たちは石井部隊の少年隊員だ。勉強せよ。勉強すれば大学にも入れてやる」といわれ、ここで教育されました。(石井式濾水機(注1)、細菌学の初歩、など)1ヶ月余りの教育の後30人の内1人は研究室に残り29人はハルピン市郊外の平房に移動させられました。(東京→列車下関→関釜連絡線釜山→列車で朝鮮半島を北上「満州国」ハルピン市到着)
ハルピン市内の731部隊吉林街分室で顔写真の貼ってある身分証明書が渡され、正式に731部隊の少年隊に配属。車で20キロ余離れた平房の731部隊本部へ。
◇ ここは特別軍事地域・日本軍の飛行機もこの上を飛ぶことは不可・「見るな、聞くな、言うな」が部隊の鉄則・ここから逃げ出せば処刑・・・様子が変だし、私はびっくりしましたが、野原に建つ巨大な建物はロ号棟と呼ばれる、日本陸軍が生んだ世界最大規模の細菌戦部隊の中心部であり、高々と聳え立つ煙突は生体解剖後の死体を始末する焼却炉の煙突だったとは・・・その時は想像もしませんでした。秘密があればあるほど何かやりがいのある仕事が待っているのではないだろうかと思いました。少年隊として仕事を続けていくうちに、731部隊が実は細菌兵器を開発、製造するために細菌の大量生産と人体実験を行っていることを知ります。
◇ 一番最初教えられここで一番大事なのは消毒法です。細菌を扱っているのだから自分が感染すれば死にます。(実際、日本の兵士も、部隊の大勢の仲間も感染して死にました。それでも、「金鵄勲章」!)クレゾールが入った巨大な風呂に入る。チフス、パラチフス、コレラなどの予防注射。細菌実習の時は常に生菌を使う。ウサギに青酸カリ、砒素などの毒物を注射、ウサギが痙攣し死んでいくのを直視させられました。私もウサギを飼っていましたので、つらく目をつぶると「目をつぶるな!」と叱責と鞭です。こうして生き物が死ぬことに平気になるような残忍性、残虐性が植えつけられていったのです。 6月頃だったと思いますが、夜中、外が慌しくなった。鎖をひきずる音。「マルタ」を運び込んだ音でした。「マルタ」と言うのは材料(マテイリアルの意)あるいは材木の丸太をもじったとも。つまり731部隊で行われていた実験、研究の生体材料のことで生きながら切断され、切り刻まれた。(中国人、ロシア人、朝鮮人)
◇ 1939年、ノモンハン事件(注2)が起こり、部隊では細菌の大量生産がはじまり、ノモンハンの前線基地まで細菌を運ぶ作業は下士官に引率された少年隊が行った。私もハルピンからハイラルまで、1回行きました。石油缶に入った菌液は、敵の飲水を汚染させる目的でハルハ河上流のホルステイン川に流したとききました。この結果日本の兵隊にも多くのパラチフス患者がでた。17000人余りの捕虜と死傷者をだし惨敗の戦いであったのに翌年、石井部隊長は陸軍最高技術有効章を、下士官、将校は金鵄勲章を、私は運搬した功労によって、従軍徽章という勲章と金券を貰いました。細菌が兵器として使えることを証明したのがノモンハン事件であった。
◇ 1940年からノミの増殖に動員されました。ペスト菌を運ぶ兵器としてノミが使われた。ネズミにペスト菌を注射して感染させる。これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。ネズミは死にますが、ノミは体温の冷めた動物からすぐに離れる習性によって人間につく。人間に線ペストを発症させる。ペストは死亡率100パーセントです。私たちが増殖したノミはこのように使われたのだろうと思います。
◇ 1941年少年隊解散(各地の戦場で兵力を必要としたため?)私は盲腸で入院しており、再び731部隊に。第四部隊柄沢班に配属。強力な病原菌の大量培養と人体実験が任務。私が所属する柄沢班でも細菌の毒力をテストすると言う理由で、五人の中国人を使って生体実験と生体解剖をおこないました。(1942年)著書「日本にも戦争があった」(P78ーP87)
◇ <どうしたらより沢山の人を殺す事ができるか>このことだけを考えていた。少年隊の戦友も感染した末、犠牲者の一人になった。1943年になってからつくづく細菌班から抜けたいと思うようになった。細菌の怖さを知ってきた。が出られなかった。柄沢班長に、思い切って辞めたいと申し出たが「やめさせることはできない。休暇をやるから日本に一度帰って来い」と、一時帰省。つかの間、7月、満州鞍山市の昭和鉄鋼の研究所に赴任の指示。9月、瀋陽市満州医科大学および奉天、同善堂病院の技術員となることを命じられた。翌1944年ソ連国境に近い黒河省神武屯の関東軍五十四師団に現役兵として入営。11月から師団軍医部、翌45年2月、731部隊にて下士官養成教育。この頃中国との戦いは 敗北していることは、下級兵士にもわかった。知らないのは一般の日本人だけ。6月「通化」へ移動していた125部隊軍医部に帰隊命令。8月ソ連参戦(この時点で731部隊は証拠隠滅をはかった?)無条件降伏。
◇ 日本敗戦の報が伝わると「通化」の街々には中国の旗がはためいた。731部隊は建物と資料を焼却し日本へ帰れ。決して捕虜になるな。と。そして青酸カリが渡された。私は日本へ逃げ帰る機会を逸したまま、「通化事件」(注3)で捕虜に。収監中回帰熱にかかり意識不明。解放軍の捕虜。1949年中華人民共和国成立。1952年、元731部隊隊員であることを自首。中国戦犯として、遼寧省憮順戦犯管理所収容。1956年釈放、帰国した時私は32歳になっていました。注1:石井式濾水機・・・731部隊長石井四が1932年に完成させた大型の野戦用の水を濾す道具。細菌などで汚染された水の浄化用
注2:ノモンハン事件・・・中国東北部(満州国)とモンゴル人民共和国との国境に接するノモンハン付近で起きた日本とモンゴル・ソ連両軍との軍事衝突事件
注3:通化事件・・・終戦直後中国東北部の朝鮮国境近くの「通化」には3万余の日本人難民がいたが、1946年2月3日、元関東軍軍人と共に八路軍に対して暴動をおこしたが鎮圧された。首諸者の元参謀長は自殺。
関連の本「日本にも戦争があった」篠塚 良雄・高柳美知子 著 新日本出版社 2004刊 1300円「生物戦部隊731 アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪」 西里芙子 著 草の根出版会 2002刊
若葉・九条の会のみなさまへ
教育基本法「改正」を歴史の逆流の始まりにしてはなりません
木村忠彦(代表世話人、みつわ台5丁目在住)
12月15日教育基本法「改正」案が参議院本会議を通過し成立し、日本国憲法とセットの準憲法的法律として1947年公布施行された教育基本法が変えられることになりました。世論調査によりますと、いますぐ教育基本法「改正」を行うべしという意見が約10%、もっと審議を尽くすべきという意見が約70%であり、自民党支持者でさえも、即時教育基本法「改正」賛成は約30%に過ぎず、約60%が審議を尽くすべきであるとのことでした。このように、安倍政権は、慎重審議を望む圧倒的多数の国民の声を無視して、教育基本法の「改正」を強行しました。なぜいま教育基本法を変えなければならないのか。いじめ、クラス崩壊、学力の格差など教育が直面している様々の問題の解決に教育基本法改定がどう結びついているのか。安倍首相はまともな説明ができないまま採決を強行しました。
「主権者である国民のための教育」から「国家が必要とする教育」へ変えること、あるいは「国家の教育への介入を抑制する教育基本法」から「国家の教育への介入を許す教育基本法」へ変えることだけがその目的であったと判断せざるを得ません。このことは、教育基本法第10条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきである。」が削除されたことに明瞭に現れています。教育への国家の介入を抑制し、教育の自由と自主性を守ることは、日本国憲法の要請から導き出されたものであり、第10条の削除は、日本国憲法に違反しています。
教育基本法の「改正」を、憲法改正に結びつく歴史の逆流の始まりにしてはなりません。この改定された教育基本法の具体的な実施は憲法の保障する基本的人権とぶつかり、また現在教育現場で起こっている様々の問題を解決するのではなく一層拡大していくでしょう。教育問題と憲法問題は一層深く結びついていくものと考えられます。私たち「若葉・九条の会」も憲法を活かし擁護するための活動を一層粘り強く幅広く展開していく必要があると思います。
★ ★ ★ 事務局日誌
1年間こんなことを・・・
2006/1/22 新春平和のつどい(於;みつわ台公民館)
2/26 城丸章夫先生講演会(於;みつわ台公民館)
3/26 県内九条の会交流集会(於:千葉市文化センター)
4/23 第1回語り継ぐ: 伊藤清さん(於;みつわ台公民館)
5/27 「九条と平和の夕べ」講演とコーラス・若者からのメッセージ
(於:千葉市生涯学習センターホール)
講演 小林正弥氏「平和憲法を活かす道」
6/10 九条の会全国交流集会 (於:東京日本青年館)
6/25 第2回語り継ぐ:上野壽さん(於;みつわ台公民館)
7/30 勉強会「国民投票法案」(講師;山田安太郎さん)
9/18 「教育基本法と私たち」講演 三宅 晶子さん
(於:都賀コミュニティセンター)
10/22 第3回語り継ぐ:信太正道さん(於;みつわ台公民館)
11/3 憲法発布60周年ビラ配布(JR都賀駅)
11/26 第4回語り継ぐ:篠塚 良雄さん(於;みつわ台公民館)
- 詳細
- 参照数: 1791
「若葉・九条の会」ニュースレター第9号
(2006年9月24日発行)
改憲”だめ”節(読み人知らず)
改憲きたきた すぐそこに 年金・増税と さわがせて
マスコミ信じて だまされて 気づいて泣いても もう遅い
改憲・創憲 毒まんじゅう おいしい話にや 毒がある
環境だ 人権だと 味つけて 中身ののあんこは 猛毒さ
九条変えたら どうなるの? 他国へ出かけて 人殺し
強姦・侵略 お手のもの 靖国神社が 待ってるよ
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憲法勉強会 7月30日(日) みつわ台公民館にて
話題:国民投票法案
講師:山田安太郎さん(会員・弁護士)
1「憲法」を変えるにはどの様な手続きが必要か。現・憲法はどう定めているか?
◆ 憲法第96条
憲法の改正は、①衆参両院で総議員の三分の二以上の賛成が得られること②国会
が「改正案」を発議し、国民投票を行って、その過半数の賛成を得ることが必要
である
◆ 厳格な手続き・・・硬性憲法
法律は各議院の出席議員の過半数で可決すれば成立(憲法56条、59条Ⅰ)す
るが、憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成が必要であり、更に国民
投票で過半数の賛成を得て、国民の承認が必要。
2 憲法とは?
◆ 近代憲法は国民の基本的人権を保障するために、国家権力を制限するという「立憲主義」に基づき、国民主権を定め、憲法制定権者は国民であり、憲法改正権も国民が有する。従って「国民投票」による承認が必要。
3 憲法改正の限界
◆ 憲法の基本原理は、国民主権、基本的人権の尊重(個人の尊厳)、平和主義である。今、問題になっている「改憲論」(自民党案民主党案)は憲法改正の限界を超えるもの。自民党は「改正案」と言わず、「新憲法草案」と言っている。
4「国民投票法案」は憲法を変えるためにつくられる
憲法議連2001年に「憲法改正のための国民投票法案がないのは立法の不作為」と して「改憲国民投票法案要綱」発表。同時に「国会法改正案」も発表。与党は、改憲と国民投票法制定の運動を先行し2006年、自民・公明案と民主党案が提出され、成立を急いでいるのが、現在の状況。
◆ しかし「立法の不作為」ではない。国民投票法が出来ずにきたのは、国民が憲法を変える必要を認めなかったから。これまで憲法改正が行われなかったのは、国民投票法がなかったからではなく、改憲の発議がなされなかったから。
◆ にわかに国民投票法案が出てきたのは憲法を変えるための合鍵として「国民投票法案」を制定したいから。憲法を変えるための条件整備。改憲とは関係のない「ただの手続き法」というゴマカシに騙されない様に。
5、「日本国憲法の改正手続に関する法律案」
(与党案)を見ながら検証
・投票権は20歳以上の「日本国民」
・期間が短かすぎる(国会が発議してから60日から等、当初は30日、少し長くした
・「国民投票運動」に多くの制約・禁止を設け国民の目と耳をふさぐ。
・公務員、教育者への運動規制(罰則付き)
・複数の憲法の条項について、一つひとつ賛否を問うのではなく、一括して○かⅩ
(法案では、明確になっていない)
・「投票数の過半数」を「有効投票数の過半数」と改憲したい側には最も低いハードル。
・悩んだ末「白票」を投じたら無効票に。
・有権者数に対して極めて少数でも憲法改悪が成立してしまう。
・一方、「憲法改正案広報協議会」という機関が国会に設置され、改正案の「広報」の役割を果たすとされている。公平なように見せかけ、改憲の主張が公的に展開される。
あるべき内容
◆ 投票権者の範囲は広く 18歳以上に
◆情報の周知 十分に考える期間 半年程度は必要 十分に議論、運動ができる
こと
◆運動・報道・表現の自由の保障
◆ 投票の方式 国民の意思が正確に表明できること
個別事項について 賛成は ○だけ
◆ 判定
有権者の過半数(棄権、無効票は反対と数える)。国民(有権者)の過半数が改憲に賛成の投票をしなかった場合、改憲案は国民投票での承認を得られなかったことを意味するのは自明のこと。
これから、再度、国会で審議され、細かい所は譲歩しつつ、なんとかして、「国民投票法案」を成立させようとするでしょう。
「憲法改悪」「国民投票法案」は表裏一体です。問題点を掴み、議論の輪を広げ廃案にしよう。
- 詳細
- 参照数: 1979
「若葉・九条の会」ニュースレター第8号
(2006年7月24日発行)
「九条と平和の夕べ」開催
5月27 日(土)、千葉市生涯学習センターホールで「九条と平和の夕べ」が開催され、約200名が集いました。千葉大学大学院法学部教授小林正弥氏による講演「平和憲法を活かす道」を中心に、コーラスグループの賛助出演、高校生大学生からのメッセージ、詞の朗読「アメリカの友人へ」等で多いに会場が盛り上がりました。
小林正弥氏の講演の主旨
「平和憲法を守る運動」は古い、暗いというイメージを〈新しい、明るい、希望のあるもの〉に創り変える工夫が必要。◇「平和憲法を守る運動」を、9じょうについて「非武装」の考えをとる人々だけで進めるのではなく、自衛隊は專守防衛のために認め、海外には行かない。9条2項を守ることで戦争はしない。日本は戸締りはするけれども、他所へ出て行って強盗、殺人はしない。この解釈では、自衛隊員の命を守れる。又、世界の平和にも貢献出来る。「すでにある自衛隊を憲法に明記した方がスッキリするから、改憲が必要」と言う意見を「憲法を守る」側に説得できる。◇「平和憲法を守る」と言う一点で力を合わせれば、多数派になる道は拓ける。◇第1段階・・国会で憲法改正の発議ができないように三分の一議席を「平和派」が取る戦術を練る。第2段階で、万が一国民投票になった場合は、主権者として「日本国憲法」を選びなおせるよう多数派を作って行く。保守的な人々の中にも戦争をする国にしてはならないと考えている人は多い。◇現状は危機的です。然し、絶望する必要はない。知恵を働かせ、最大限の努力を傾けていれば、撥ね返すことができる。「9条の会」の広がりに希望があります。◇過半数をとれなければ、「平和憲法」は守れないのですから、マジョリティの人々が賛成する運動を構築する必要があるのです。◇運動の広がりと結集が急務です。当日のレジメの詳細をご覽になりたい方はこちらへ「講演レジュメ3.doc」。
アンケートから集計結果 回収数 42 アンケートに回答いただいた42名の方のうち35名が総合してよかったという感想をよせられました。ご感想・ご意見の中からスペースが許す限り紹介致します(原文のまま)。
第一部について
・ 第一部は希望を感じました。高校生・大学生からのメッセージを聴いて、若い 方の中にも平和について考えている方がいると感動し、嬉しくなりました。
・ ひまわりの「褒めてください」いかにもジェームス・三木らしい歌詞で説得力 があり、「バーチェ」きれいな曲でよかった。
・Paceの旗を広げる演出はしゃれていた。・高校生、大学生の話はたどたどしいけれど、 気持ちは充分に伝えられた。詩の朗読はよ かった。
・ 歌や詩の朗読は必要なし。小林先生の講演をもっと多く、質疑などをとるべきだ。
第二部について
・ 戦争をイヤダーという人集まれ!といえば一致すると思います。大勢の人を巻き込む必要が今日の講演でよく分かりました。手作りのこころのある催しで感謝します。・ 与党は何故改憲をしたいのか。その本音は何処にあるのか。そのことが知りたく講演を受けましたが、そのことに触れていなく疑問が未解決です。・ 憲法9条を守る具体的な方法を教えてもらえてよかった。・ 9条2項の持つ意義の大きさが理解できた。護憲が時代の趨勢とする考え方を排除していくためにも、もっと活発な活動が必要だと思う。活動資金のカンパを呼びかけるのも一策ではないか。市民と研究者のデイスカッションの場を持っては如何(オープンな場で)。
・ 講演だけでなく、音楽やメッセージなどとても良かった。資料があったため,よりわかり安く聞くことが出来ました。(再度、読むことが出来ます)。世界に誇れる九条を再確認しました。私なりの言葉で身近な人々に九条を語り継ぎましょうと思いました。
・ 2項が大切とよくわかった。話はわかりやすかったが、早口でついて行けないときがあった。
・ 9条2項を守ることは自分を、自分の子孫を守ることになることを人に伝えようと思います。郵政法案だけを問うて解散したのに、選挙後の国会では、教育基本法改悪、共謀罪、国民投票法など国民主権の根幹に係わるようなことをおしとおそうとすることへの怒りを新たにしました。
・9条2項がどうして守らなければならないか、非常にていねいな解説で分かり易かった。残された時間でどのように周囲の人に話して行くか、まだ出来ることはあるという力強い話に改めて平和の大切さを思いました。
・ (レジュメでいうと6と7の関連)“九条の会”は政党支持、思想信条等の違いを超えて、九条改憲反対の一点で連携して活動を進めるという姿勢が大事だと考えます。この姿勢で保守的な人も、無党派の人々にも広く呼びかけていく必要があると考えます。講師の「平和共同候補リスト・平和共同リスト」実現を訴える危機感はわかりますが、九条の会をはじめ市民による憲法運動の中で。「平和共同リスト」をかかげたりすると運動の幅を狭めてしまう恐れがあります。
・ 全くその通りだと感じました。平和への結集がこれほど必要なときはないと思います。そういう意味から考えますと、既存の政党も、真から国民を守るために、平和への結集に協力すべきだと思います。又、各々九条を守る民主団体が一緒に行動できるように早急に取り組むべきだと思います。・ 「平和共同候補の擁立」との意見には大賛成ですが、しかしそのためには、当面、組織された集団・グループはどのような基準で選択するのでしょうか(全29団体といっても難しいことだと思いますので)。
・ 国会の護憲勢力が激減した。政治的・社会的に発言力を失ってしまった。小さい護憲勢力が党利党略で小さく結集しても小さくなるばかり。小異を滅して大同につくこと、平和共同候補の結集に全力をつくすべき時であると思います。
・ 小林先生の話に大変共感します。日頃強く感じているところです。従来のやり方ではとても太刀打ちできないのです。網の目のように手と手を地域でつなげる勇気と努力を、私自身が生き方がためされていると思います。今、1人でも2人でもと九条の会を自負してやっています。・ 講演の最後の方での平和共同候補についての件りがありました。しかし、平和の統一候補はほかのことについては意見が異なる可能性がありますよね。平和のことのみで投票するのは、郵政民営化のことのみで投票するのと同じ感じがしてしまうのですが、どう思われますか。もちろん多くの運動を結集する必要も、国政で平和を求める勢力を大きくする必要もあるとは思いますが・・。・ 平和に関する多用な見解、立場を広範に視野に入れたお話しで感銘しました。“平和への結集”について真意が伝わったように思います。いろいろ異論もありましょう。丁寧な討論、心のこもった討論を、今、おこして行くのが9条の会賛同者の仕事であると思います。主催者に感謝します。・ 市内九条の会が協力して開催したことがよかったと思います(そういっても若葉の方によりかかってしまいましたが)。各種の運動をやっている方で,初めて九条の会へ来たという人がかなりいたように思います。
・ 結集すれば勝てることを確信し、共に力を尽くそうと思います。・ 話す内容が重く、濃いのでどうしても早口で休みなくしゃべるので、ついてゆくのが大変だった。初めて聞く用語、概念がどんどんでてきて、理解するのが大変だった。・ レジメがあり、よくわかりました。高齢者が多いのでもう少しゆっくり話していただければと思います。
・ 考え方の指針として参考になりました。今まで硬直した考えでしたが修正できそうです。
第2回「語り継ぐ会」上野 壽さん 沖縄戦を語る(6月25日開催)
入隊から復員まで
・ S18(1943) 12月:予科練に志願し三重海軍航空隊奈良分遣隊入隊。
・ S19(1944) 9月:長崎県川棚町臨時魚雷艇訓練所へ移動。 「震洋艇」搭乗員訓練。
・ S20(1945) 1月:佐世保から沖縄へ出陣。沖縄の金武に「震洋」の格納庫を作り滞在。 3月:空襲。搭乗員14名と艇を失う。
4月:米軍本島に上陸開始。金武撤退。部隊解散。山(恩納岳麓)に逃げる。 6月:負傷。 住民に助けられる。
9月:捕虜。
・S21(1946) 1月:浦賀に復員。
戦争をするとは予想しないで、飛行機に乗れるかもしれないと憧れて、予科練に入りました。当時国民は敗色濃い戦況など知る由もなかった。馬が目隠しをして走るようなもの。一人乗り特攻兵器「震洋」はS19年に完成したベニヤ板で出来た船。夜間、敵艦を探し艇首に250キロの爆薬を詰め全速力で自爆する。私は、出撃しましたが、敵艦が見つからず帰還。命拾いしました。
2回目の命拾いは、4月米軍上陸。武器も食料もなくなり部隊長が部隊解散を決断したことです。各自南の戦線に移動し陸軍に合流して戦えというものでしたが、部隊が玉砕などせず、ちりぢりになったのが幸いでした。山へ逃げるも撃たれて負傷。傷は蛆がわくほどでしたが、地元住民に食料を貰い(芋の葉の粥、その人にとっても命綱のごとき)助けられ又命拾いしました。沢蟹、ハブ、ネズミ、何でも食べた。この沖縄の方の恩は生涯忘れず再会、子孫の方とも交流しています。9月捕虜になりました。<虜囚の辱めを受けず>は誤りですね。
予科練• 海軍飛行予科練習生制度。(S5発足)
S18戦力として急速拡充養成。15歳〜20歳。18,900名が戦死。特攻戦死2,534名。特攻隊は爆弾もろとも敵艦に体当たりする。必死必中。兵器は人間魚雷・回天・海竜・震洋等。
「九条の会」全国集会が開かれました。 全国に5,174の「9条の会」!!
6月10日、東京日本青年館に、全国都道府県から1,500人(約500団体)が参加。当会からは、木村代表・藤木事務局長が参加しました。9人の呼びかけ人の内、6人(大江健三郎・小田実・加藤周一・澤地久枝・鶴見俊輔・三木睦子)の挨拶、ユニークな活動をしている各地9条の会からの報告(5ヶ所)があり、午後は11の分散会。各地の活動から学び、参考にできるものは吸収する。県、市などで緩やかなネットワーク化が必要ではないかとの感想を持った。参加者の思いと熱気が伝わる集会でした。(報告 藤木)
「九条の会」からの訴え
1)「九条の会」アッピールに賛同し、思想・信条・政治的立場などの違いを超えた、広範な人々が参加する「会」をつくり、過半数世論を結集しましょう。
2)大小無数の学習会を開き、日本国憲法9条のすぐれた意義と改憲案の危険な内容を学び、多くの人々に広げましょう。
3)ポスター、署名、意見広告によるアッピール、マスコミ等への手紙・電話・メール運動、地元政治家や影響力を持つ人々への協力要請等、9条改憲反対の一人ひとりの意思を様々な形で表明しながら「会」の仲間を増やしましょう。
4)「9条守れ」の世論を広げるため、「会」を市町村・学区・職場・学園に網の目のように作り、相互のネットワークを強めて情報や経験を交流し協力し合いましょう。その成果を、来年の第2回全国交流会に持ち寄りましょう。
