ニュースレター
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「若葉・九条の会」ニュースレター第9号
(2006年9月24日発行)
改憲”だめ”節(読み人知らず)
改憲きたきた すぐそこに 年金・増税と さわがせて
マスコミ信じて だまされて 気づいて泣いても もう遅い
改憲・創憲 毒まんじゅう おいしい話にや 毒がある
環境だ 人権だと 味つけて 中身ののあんこは 猛毒さ
九条変えたら どうなるの? 他国へ出かけて 人殺し
強姦・侵略 お手のもの 靖国神社が 待ってるよ
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憲法勉強会 7月30日(日) みつわ台公民館にて
話題:国民投票法案
講師:山田安太郎さん(会員・弁護士)
1「憲法」を変えるにはどの様な手続きが必要か。現・憲法はどう定めているか?
◆ 憲法第96条
憲法の改正は、①衆参両院で総議員の三分の二以上の賛成が得られること②国会
が「改正案」を発議し、国民投票を行って、その過半数の賛成を得ることが必要
である
◆ 厳格な手続き・・・硬性憲法
法律は各議院の出席議員の過半数で可決すれば成立(憲法56条、59条Ⅰ)す
るが、憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成が必要であり、更に国民
投票で過半数の賛成を得て、国民の承認が必要。
2 憲法とは?
◆ 近代憲法は国民の基本的人権を保障するために、国家権力を制限するという「立憲主義」に基づき、国民主権を定め、憲法制定権者は国民であり、憲法改正権も国民が有する。従って「国民投票」による承認が必要。
3 憲法改正の限界
◆ 憲法の基本原理は、国民主権、基本的人権の尊重(個人の尊厳)、平和主義である。今、問題になっている「改憲論」(自民党案民主党案)は憲法改正の限界を超えるもの。自民党は「改正案」と言わず、「新憲法草案」と言っている。
4「国民投票法案」は憲法を変えるためにつくられる
憲法議連2001年に「憲法改正のための国民投票法案がないのは立法の不作為」と して「改憲国民投票法案要綱」発表。同時に「国会法改正案」も発表。与党は、改憲と国民投票法制定の運動を先行し2006年、自民・公明案と民主党案が提出され、成立を急いでいるのが、現在の状況。
◆ しかし「立法の不作為」ではない。国民投票法が出来ずにきたのは、国民が憲法を変える必要を認めなかったから。これまで憲法改正が行われなかったのは、国民投票法がなかったからではなく、改憲の発議がなされなかったから。
◆ にわかに国民投票法案が出てきたのは憲法を変えるための合鍵として「国民投票法案」を制定したいから。憲法を変えるための条件整備。改憲とは関係のない「ただの手続き法」というゴマカシに騙されない様に。
5、「日本国憲法の改正手続に関する法律案」
(与党案)を見ながら検証
・投票権は20歳以上の「日本国民」
・期間が短かすぎる(国会が発議してから60日から等、当初は30日、少し長くした
・「国民投票運動」に多くの制約・禁止を設け国民の目と耳をふさぐ。
・公務員、教育者への運動規制(罰則付き)
・複数の憲法の条項について、一つひとつ賛否を問うのではなく、一括して○かⅩ
(法案では、明確になっていない)
・「投票数の過半数」を「有効投票数の過半数」と改憲したい側には最も低いハードル。
・悩んだ末「白票」を投じたら無効票に。
・有権者数に対して極めて少数でも憲法改悪が成立してしまう。
・一方、「憲法改正案広報協議会」という機関が国会に設置され、改正案の「広報」の役割を果たすとされている。公平なように見せかけ、改憲の主張が公的に展開される。
あるべき内容
◆ 投票権者の範囲は広く 18歳以上に
◆情報の周知 十分に考える期間 半年程度は必要 十分に議論、運動ができる
こと
◆運動・報道・表現の自由の保障
◆ 投票の方式 国民の意思が正確に表明できること
個別事項について 賛成は ○だけ
◆ 判定
有権者の過半数(棄権、無効票は反対と数える)。国民(有権者)の過半数が改憲に賛成の投票をしなかった場合、改憲案は国民投票での承認を得られなかったことを意味するのは自明のこと。
これから、再度、国会で審議され、細かい所は譲歩しつつ、なんとかして、「国民投票法案」を成立させようとするでしょう。
「憲法改悪」「国民投票法案」は表裏一体です。問題点を掴み、議論の輪を広げ廃案にしよう。
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「若葉・九条の会」ニュースレター第8号
(2006年7月24日発行)
「九条と平和の夕べ」開催
5月27 日(土)、千葉市生涯学習センターホールで「九条と平和の夕べ」が開催され、約200名が集いました。千葉大学大学院法学部教授小林正弥氏による講演「平和憲法を活かす道」を中心に、コーラスグループの賛助出演、高校生大学生からのメッセージ、詞の朗読「アメリカの友人へ」等で多いに会場が盛り上がりました。
小林正弥氏の講演の主旨
「平和憲法を守る運動」は古い、暗いというイメージを〈新しい、明るい、希望のあるもの〉に創り変える工夫が必要。◇「平和憲法を守る運動」を、9じょうについて「非武装」の考えをとる人々だけで進めるのではなく、自衛隊は專守防衛のために認め、海外には行かない。9条2項を守ることで戦争はしない。日本は戸締りはするけれども、他所へ出て行って強盗、殺人はしない。この解釈では、自衛隊員の命を守れる。又、世界の平和にも貢献出来る。「すでにある自衛隊を憲法に明記した方がスッキリするから、改憲が必要」と言う意見を「憲法を守る」側に説得できる。◇「平和憲法を守る」と言う一点で力を合わせれば、多数派になる道は拓ける。◇第1段階・・国会で憲法改正の発議ができないように三分の一議席を「平和派」が取る戦術を練る。第2段階で、万が一国民投票になった場合は、主権者として「日本国憲法」を選びなおせるよう多数派を作って行く。保守的な人々の中にも戦争をする国にしてはならないと考えている人は多い。◇現状は危機的です。然し、絶望する必要はない。知恵を働かせ、最大限の努力を傾けていれば、撥ね返すことができる。「9条の会」の広がりに希望があります。◇過半数をとれなければ、「平和憲法」は守れないのですから、マジョリティの人々が賛成する運動を構築する必要があるのです。◇運動の広がりと結集が急務です。当日のレジメの詳細をご覽になりたい方はこちらへ「講演レジュメ3.doc」。
アンケートから集計結果 回収数 42 アンケートに回答いただいた42名の方のうち35名が総合してよかったという感想をよせられました。ご感想・ご意見の中からスペースが許す限り紹介致します(原文のまま)。
第一部について
・ 第一部は希望を感じました。高校生・大学生からのメッセージを聴いて、若い 方の中にも平和について考えている方がいると感動し、嬉しくなりました。
・ ひまわりの「褒めてください」いかにもジェームス・三木らしい歌詞で説得力 があり、「バーチェ」きれいな曲でよかった。
・Paceの旗を広げる演出はしゃれていた。・高校生、大学生の話はたどたどしいけれど、 気持ちは充分に伝えられた。詩の朗読はよ かった。
・ 歌や詩の朗読は必要なし。小林先生の講演をもっと多く、質疑などをとるべきだ。
第二部について
・ 戦争をイヤダーという人集まれ!といえば一致すると思います。大勢の人を巻き込む必要が今日の講演でよく分かりました。手作りのこころのある催しで感謝します。・ 与党は何故改憲をしたいのか。その本音は何処にあるのか。そのことが知りたく講演を受けましたが、そのことに触れていなく疑問が未解決です。・ 憲法9条を守る具体的な方法を教えてもらえてよかった。・ 9条2項の持つ意義の大きさが理解できた。護憲が時代の趨勢とする考え方を排除していくためにも、もっと活発な活動が必要だと思う。活動資金のカンパを呼びかけるのも一策ではないか。市民と研究者のデイスカッションの場を持っては如何(オープンな場で)。
・ 講演だけでなく、音楽やメッセージなどとても良かった。資料があったため,よりわかり安く聞くことが出来ました。(再度、読むことが出来ます)。世界に誇れる九条を再確認しました。私なりの言葉で身近な人々に九条を語り継ぎましょうと思いました。
・ 2項が大切とよくわかった。話はわかりやすかったが、早口でついて行けないときがあった。
・ 9条2項を守ることは自分を、自分の子孫を守ることになることを人に伝えようと思います。郵政法案だけを問うて解散したのに、選挙後の国会では、教育基本法改悪、共謀罪、国民投票法など国民主権の根幹に係わるようなことをおしとおそうとすることへの怒りを新たにしました。
・9条2項がどうして守らなければならないか、非常にていねいな解説で分かり易かった。残された時間でどのように周囲の人に話して行くか、まだ出来ることはあるという力強い話に改めて平和の大切さを思いました。
・ (レジュメでいうと6と7の関連)“九条の会”は政党支持、思想信条等の違いを超えて、九条改憲反対の一点で連携して活動を進めるという姿勢が大事だと考えます。この姿勢で保守的な人も、無党派の人々にも広く呼びかけていく必要があると考えます。講師の「平和共同候補リスト・平和共同リスト」実現を訴える危機感はわかりますが、九条の会をはじめ市民による憲法運動の中で。「平和共同リスト」をかかげたりすると運動の幅を狭めてしまう恐れがあります。
・ 全くその通りだと感じました。平和への結集がこれほど必要なときはないと思います。そういう意味から考えますと、既存の政党も、真から国民を守るために、平和への結集に協力すべきだと思います。又、各々九条を守る民主団体が一緒に行動できるように早急に取り組むべきだと思います。・ 「平和共同候補の擁立」との意見には大賛成ですが、しかしそのためには、当面、組織された集団・グループはどのような基準で選択するのでしょうか(全29団体といっても難しいことだと思いますので)。
・ 国会の護憲勢力が激減した。政治的・社会的に発言力を失ってしまった。小さい護憲勢力が党利党略で小さく結集しても小さくなるばかり。小異を滅して大同につくこと、平和共同候補の結集に全力をつくすべき時であると思います。
・ 小林先生の話に大変共感します。日頃強く感じているところです。従来のやり方ではとても太刀打ちできないのです。網の目のように手と手を地域でつなげる勇気と努力を、私自身が生き方がためされていると思います。今、1人でも2人でもと九条の会を自負してやっています。・ 講演の最後の方での平和共同候補についての件りがありました。しかし、平和の統一候補はほかのことについては意見が異なる可能性がありますよね。平和のことのみで投票するのは、郵政民営化のことのみで投票するのと同じ感じがしてしまうのですが、どう思われますか。もちろん多くの運動を結集する必要も、国政で平和を求める勢力を大きくする必要もあるとは思いますが・・。・ 平和に関する多用な見解、立場を広範に視野に入れたお話しで感銘しました。“平和への結集”について真意が伝わったように思います。いろいろ異論もありましょう。丁寧な討論、心のこもった討論を、今、おこして行くのが9条の会賛同者の仕事であると思います。主催者に感謝します。・ 市内九条の会が協力して開催したことがよかったと思います(そういっても若葉の方によりかかってしまいましたが)。各種の運動をやっている方で,初めて九条の会へ来たという人がかなりいたように思います。
・ 結集すれば勝てることを確信し、共に力を尽くそうと思います。・ 話す内容が重く、濃いのでどうしても早口で休みなくしゃべるので、ついてゆくのが大変だった。初めて聞く用語、概念がどんどんでてきて、理解するのが大変だった。・ レジメがあり、よくわかりました。高齢者が多いのでもう少しゆっくり話していただければと思います。
・ 考え方の指針として参考になりました。今まで硬直した考えでしたが修正できそうです。
第2回「語り継ぐ会」上野 壽さん 沖縄戦を語る(6月25日開催)
入隊から復員まで
・ S18(1943) 12月:予科練に志願し三重海軍航空隊奈良分遣隊入隊。
・ S19(1944) 9月:長崎県川棚町臨時魚雷艇訓練所へ移動。 「震洋艇」搭乗員訓練。
・ S20(1945) 1月:佐世保から沖縄へ出陣。沖縄の金武に「震洋」の格納庫を作り滞在。 3月:空襲。搭乗員14名と艇を失う。
4月:米軍本島に上陸開始。金武撤退。部隊解散。山(恩納岳麓)に逃げる。 6月:負傷。 住民に助けられる。
9月:捕虜。
・S21(1946) 1月:浦賀に復員。
戦争をするとは予想しないで、飛行機に乗れるかもしれないと憧れて、予科練に入りました。当時国民は敗色濃い戦況など知る由もなかった。馬が目隠しをして走るようなもの。一人乗り特攻兵器「震洋」はS19年に完成したベニヤ板で出来た船。夜間、敵艦を探し艇首に250キロの爆薬を詰め全速力で自爆する。私は、出撃しましたが、敵艦が見つからず帰還。命拾いしました。
2回目の命拾いは、4月米軍上陸。武器も食料もなくなり部隊長が部隊解散を決断したことです。各自南の戦線に移動し陸軍に合流して戦えというものでしたが、部隊が玉砕などせず、ちりぢりになったのが幸いでした。山へ逃げるも撃たれて負傷。傷は蛆がわくほどでしたが、地元住民に食料を貰い(芋の葉の粥、その人にとっても命綱のごとき)助けられ又命拾いしました。沢蟹、ハブ、ネズミ、何でも食べた。この沖縄の方の恩は生涯忘れず再会、子孫の方とも交流しています。9月捕虜になりました。<虜囚の辱めを受けず>は誤りですね。
予科練• 海軍飛行予科練習生制度。(S5発足)
S18戦力として急速拡充養成。15歳〜20歳。18,900名が戦死。特攻戦死2,534名。特攻隊は爆弾もろとも敵艦に体当たりする。必死必中。兵器は人間魚雷・回天・海竜・震洋等。
「九条の会」全国集会が開かれました。 全国に5,174の「9条の会」!!
6月10日、東京日本青年館に、全国都道府県から1,500人(約500団体)が参加。当会からは、木村代表・藤木事務局長が参加しました。9人の呼びかけ人の内、6人(大江健三郎・小田実・加藤周一・澤地久枝・鶴見俊輔・三木睦子)の挨拶、ユニークな活動をしている各地9条の会からの報告(5ヶ所)があり、午後は11の分散会。各地の活動から学び、参考にできるものは吸収する。県、市などで緩やかなネットワーク化が必要ではないかとの感想を持った。参加者の思いと熱気が伝わる集会でした。(報告 藤木)
「九条の会」からの訴え
1)「九条の会」アッピールに賛同し、思想・信条・政治的立場などの違いを超えた、広範な人々が参加する「会」をつくり、過半数世論を結集しましょう。
2)大小無数の学習会を開き、日本国憲法9条のすぐれた意義と改憲案の危険な内容を学び、多くの人々に広げましょう。
3)ポスター、署名、意見広告によるアッピール、マスコミ等への手紙・電話・メール運動、地元政治家や影響力を持つ人々への協力要請等、9条改憲反対の一人ひとりの意思を様々な形で表明しながら「会」の仲間を増やしましょう。
4)「9条守れ」の世論を広げるため、「会」を市町村・学区・職場・学園に網の目のように作り、相互のネットワークを強めて情報や経験を交流し協力し合いましょう。その成果を、来年の第2回全国交流会に持ち寄りましょう。
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ニュースレター第7号
(2006.5.19発行)
第1回「語り継ぐ会」開催
「若葉・九条の会」は2005年5月に発足以来、講演会、学習会、コンサートなどをみつわ台公民館で行ってきました。<世界に平和をつくりだしたい、日本を戦争する国にしてはならない>と願う私たちの輪(和)を広げてきました。2006年度は、月1回の定例会を「シリーズ・語り継ぐ」として、地元千葉在住の先輩方にお話を聞く予定です。
第1回は、去る4月23日本会の監事でもある伊藤清さんの戦争体験のお話で、19名が参加、時間をオーバーするほど、熱のこもったミーテイングでした。
歴史とメモ 1937年7月:盧溝橋で日中両軍衝突 日中戦争始まる 同年12月:南京攻略1941年:伊藤さん入隊(初年兵)同年12月:真珠湾攻撃 日米開戦1942年:伊藤さん中国戦線(湖北省)に:中国ゲリラ襲撃激化 戦争泥沼化1944年:南方でも日本軍敗退 「玉砕」「転進」などの情報1945年8月:米軍,ヒロシマに原爆投下8月16日:敗戦を知る銃声のしない太陽の下で「生きている喜びを噛みしめた」。徹底的に暗記させられ、間違えると鉄拳制裁であった「軍人勅諭」を燃やした時はうれしかった。1946年6月まで捕虜収容所 同月帰還
「戦争で被害を受けた。つらい目をみた。もう戦争はこりごりである。だから憲法9条を守りたい」こう思うことは、大切なことだと思いますが、今日は私たち日本人が中国でどれだけ中国の人々に被害を与えたか、ひどいことをしたか、その加害者の立場から平和の大切さを忘れてはならないことを話します。
殺し、殺されるのが戦争。人間の死が日常的な出来事になる。恐怖心、仲間の死により敵に対して憎しみ、復讐心がわく。軍隊では上級者から殴られ痛めつけられるから、下級兵士はより弱い女、子ども、老人に暴力的になる。相手は中国の貧しい農民。教え込まれた差別意識もある。民家に押し入って略奪、放火、強姦を平然と行うようになる。
見せしめのために、農夫を妻、子どもたちが命乞いをする目の前で、焼き殺すこともした。<戦場で人間が変わる。人間でなくなる>家庭にあっては平凡な父、やさしい夫、親思いの子であった者が中国人を虫けらのように殺すように何故なったか。戦場での日本軍の残虐な行為は、幼少年期から教えられた教育勅語、成人に達すると軍人勅諭により忠君愛国教育が徹底して行われた。天皇のために死ぬことが最高の名誉と心得る肉弾ロボットがつくられた。天皇から授かった菊の紋章がついた武器、兵器のほうが兵隊1人の命よりも大事とされた。人間の尊厳など無。 好戦的な物語、手柄話、民族的優越感、アジア諸国の民衆に対しての蔑視が植え付けられた。少しの疑問を持つことも許さない。疑問をもつ自由がない。思想、良心の自由を奪った。戦場では人間が人間でなくなる・・・このことを忘れてはならない。
憲法9条は人類が到達した叡智だと思う。戦争放棄、軍備全廃は犠牲となった中国人、アジアの人々への日本人からの「ふたたび戦争はしません」という誓約である。
※話し合いの中から
▼戦争の「昭和」を子どもたちにどうやって伝える か。学校教育で教えてきたのか。◇ 教えてきた実践は、沢山あるけれども、これでよいとは思えない。歴史の授業は古墳時代から始まるから、一番大事な近、現代を丁寧に教えることが困難である。
▼どうしたら、子どもたちに伝わるか。写真、絵を使った実践もあるが、学校教育だけの問題ではないと思う。いま、私は、日本人は50年、なにをしてきたのかと自問している。
◇「南京大虐殺」について今又問題になっており、虐殺はなかった、数字は捏造という 論までありますが、私の子どもの頃の記憶が実はあります。私の家(今の川戸地域、当時、松林があり空気が良いため結核療養所がいくつかあった)に東京から女の人が、結核の療養にきていました。夫と言う人は一度も見舞いに来ず戦争が終わったときに初めてきました。その人は従軍記者で、家の私の両親と話しているのをききました。南京で皇軍が大変なことをした。世界中で大問題になっている。各国の記者は「南京事件」を本国に打電しているなかで、日本人の記者だけに情報が遮断されていたと。日本の新聞、日本人だけが知らされなかったのだとあとから、気付きました。▽ 復員してきた人が、はなしているのをききました。強姦なんかあさめしまえだと中国の女の人は、顔に墨をぬっていました。下半身には強姦を免れるために大便をぬってた。
◆下北半島には戦争中、鉄道工事、ドック建設などに従事する朝鮮人飯場が多数あった。敗戦直後朝鮮へ送り返すことになった朝鮮人3,700人を乗せた「浮島丸」が釜山には行き着かず、何故か舞鶴港で沈没した事件がある。大湊周辺では、鉄道の枕木一本一本は、朝鮮人一人一人のからだだといわれたという。子どもの頃きいたことです。どういうことだったのか知りたい。
◇今の「憲法を変えよう」という問題は自分にとって「タイヘンな一大事」です。国政選挙が大事でないとは言わないが、私は憲法については本当に自分で考えて調べて、納得して、自分の一票を投じようと考えはじめたノンポリなんです。一生懸命、改憲の議論もきいたし、護憲の議論もきいたし、本も読んだし、いまだにやっているわけです。はじめは、改憲もありか・・・なんて考えていた。 あっちへ行ったり、こっちへいったり。でもだんだん、だんだん変わってきた。考えに考えた自信はある。結論に近づいた。「よかったなー俺、死ぬまでに一票入れる時がきたら自信を持って憲法9条を守ると入れることが出来る。」と考えています。
改憲賛成の方が護憲派より多いという。しかし「9条は変えない」派は多数派である。これはネジレ現象であるが、考えようでは日本人の感覚はマトモともいえる。本当に大事なのは、九条ですから。「九条だけはダメダヨ!」ということ。まだ希望はある。
参考図書「南京事件」秦 邦彦著 1986刊 中公新書「南京事件--体験者27人が語る虐殺の「その時」とその後の人生」2006刊 高文研「私の見た南京事件」 奥宮正武著 1997刊 PHP研究所「浮島丸釜山港へ向かわず」 金 賛汀著 1984 講談社刊いずれも、近くの図書館、分館、公民館図書室にリクエストすれば、借りられます。おすすめ 新刊 「憲法「私」論」みんなで考える前に一人一人が考えよう水島 朝穂著 小学館 2006.5.10刊 2,000
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ニュースレター 第6号
(2006.3.15発行)
新春コンサート開催こどもたちに戦争のない平和な世界を!
「新春/平和の集い」の当日(1月22日)は、前日降り積もった雪が凍りつく寒い日曜日でした。この日のために歌手の浪岡浩子さんとピアニストの木村佐穂子さんは、何度も練習や打ち合わせを重ねてきました。お金をかけない手作りのコンサートですから演奏者へのお礼はなく、会場も音響効果の良くない公民館の講堂です。盛会への願いと裏腹に観客は集まるだろうかという不安もありました。でも、いざ蓋をあけてみると80名もの人が集まり、うっとりとするような歌とピアノの曲が会場を満たし、ゆるやかな時間が流れてゆきました。高校生の平和メッセージも聞く人に感動を与えました。会の成功は皆の力の結集によって齎されたのだと思います。 本間陽子
新春のつどいを終えて
若葉・九条の会の皆様、そして当日ご参加くださいました皆様、あいにくの天候だったにもかかわらず、良い出会いに恵まれましたことを心より感謝申し上げます。世話人の方々のご苦労にも本当に頭の下がる思いでございます。音楽の“生”の力にふれて頂くことで一人でも多くの方々と平和の尊さを共感できましたことは、私に取りましてもこの上ない喜びでございました。今後も皆様と共に憲法九条を守りぬいてゆきたいと願っております。 浪岡浩子
アンケートから
25名の方がアンケートをよせて下さいました
♪コンサートについて・ 選曲が大変良かった・ 心にしみる歌のかずかずでした・ しっとりとした気分のコンサートでした・ ピアノ伴奏もよかった。自由に歌い、自由に意見を発表できる、当たり前のことができる世の中こそ大切・ 歌がすばらしかった・ 解説と浪岡さんのひとことが、歌をさらに印象深いものにした・ 浪岡さんのうたう声から平和を願う気持ちが伝わってきました・ クラシック音楽フアンにとり、大変良い企画でした・ 自然体で共感できた・ なつかしい歌、そうして新鮮な感じ
全体を通して・ 楽しいひとときでした・ 心、あたたかな感じ・ 平和なればこそと幸せを感じた・ 平和の大切さを実感しました・ 楽しいことをしながら、大切なことをきちんと伝えていく雰囲気がよかった。詩の朗読がよかった・ 「憲法」を読んだことが「よい締め」だった・ 学習会と思って来たら歌のプレゼント。そそっかしい自分のうれしい時間でした
高校生による平和メッセージ・ 自分の言葉できちんと語っていた・ 若い人の声を聞く機会がこのごろ少なかったので、印象深いよいメッセージ・ 三人の若い人たちがしっかりと自分の考えをつたえてくれたことに感銘を受けました。大人がきちんと若い人たちにわかるように伝えることをしていけば、このように、率直に対応してくれると思います・ こんなにも平和にたいして感じている高校生がいる。胸つまる思いです・ 頼もしい三人の高校生・ 若い人に未来を感じ、未来をたくせる・ 緊張しました。気持ちが伝わったかな(高校生)・ 本当にたくさんの人が平和をねがっているんだなと、あらためて思った・ 大切な人を戦争で失いたくありません。むだな命などないことを、忘れないで!・ 今のこの時間は平和がなかったら、ないものなんだなとすごく感じました・ あらためて平和について考えることが出来ました(高校生)・ できたらまたこのような会を開催してください
あなたのメッセージを・ こどもたち、孫の世代に平和な世界、平和な日本を遺したい・ 今危機的な状況にあるとわかりながら、なかなか行動できないが、平和のためにできることから、少しでも行動に移していきたい・ 九条あっての平和。日本だけでなく世界の平和を願う人々、すべてにとって「日本国憲法第9条」はたからもの。・ 戦争体験を後輩たちにさせたくない・ 一人ひとりが声を出すことでしょうか。平和と幸せのためには、憲法九条が大切だと・ 戦後60年、戦争しなかったことは、平和憲法があったため。世界に日本が誇れる唯一のもの。・ 戦争は二度としてはならないと強く思った・ 平和のありがたさ、をあらためて感じました・ 小さな点が、手をつなぐことで、あちこちに”自分の言葉で九条を話そう“の広がりを!・ 「憲法を守る」草の根のような集い、その一つの輪に入れて良かった
勉強会「憲法を「改正」したがる人々と愛国心」
2月26日、城丸章夫千葉大学名誉教授を講師に迎えて標記勉強会をみつわ台公民館講堂において開催しました。生憎の雨模様でしたが27名の参加があり、米寿を過ぎたにもかかわらず約2時間の熱のこもった講演でした。紙面の制約で論点のみ記します。
1.いま教育勅語について研究している。現在の視点から研究する必要がある。例えば、徳、忠あるいは忠節という言葉はあるが、道徳、忠義、愛国心という言葉はでてこない。
2.愛国心を持つのはあたりまえである。戦争を進めたものには愛国心がなかった。これは彼らの敗戦後の生き様を見れば分かる。
3.現在日本を支配しているのは「憲法」「教育基本法」「日米安保」である。始めの二つが「改正」されると、「改正」されないのは「安保条約」だけになる。その結果、自衛隊は米軍の指揮の下に事実上統合され、米国の第一線、旅団(直ぐに出撃する部隊)になる。日本の愛国者と称する連中は誰を愛しているのか、誰に忠義を尽くしているのか。
4.米軍は動くものがあれば殺す。いまイラクでやっている掃討作戦はこれである。イラクでは職の無い移民米国人にやらせているが、この役を自衛隊にやらせることになる。
5.外交関係というものはどれ程うそをつくものなのか。まともに政府の発表を信じないで、なぜそうするのかと自分の頭で考える必要がある。相手方の立場に立って考えることが大事である。特に1900年以降の戦争の特徴は戦争の目的が鮮明でなく、目的もころころ変わっていく。日清戦争、日露戦争、太平洋戦争、今はイラク戦争しかりである。ポツダム宣言、ヤルタ会談、日本国憲法制定、対日平和条約も分析しなおす必要がある。
6.戦争に負けるとはどういうことか?今日の日本人はその結果のもとで生きている。米軍機が飛び回っていても不思議に思わない不思議な国民になってしまっている。日本を守ってくれているという人までいる。外国基地がある、それも治外法権的にある。これは侵略以外の何ものでもない。
7.戦後のアメリカの政策をきちんと見て欲しい。アメリカは最初から天皇を利用しようとしていた。アメリカは、沖縄を琉球国としてアメリカの属国に、日本をアメリカの「家来」の国にすることを考えていた。沖縄と日本本土は大きく異なった状況であった。沖縄は米軍の占領下にあり、日本本土は連合国の占領下にあった。
8.日本国憲法は連合国が作った憲法である。積極的に日本の話も聞き取り入れている。教育基本法は殆ど日本側が作った。マッカーサーは、憲法は連合国の立場で作るという立場に立っていた。各国の世論、日本の意見を考慮し、アメリカが勝手に作ってはいない。幾ら立派な憲法が作られても、米軍の占領下のもとでは実質的な発効はしないと考えていた。アメリカの立場からは、早く講和条約を結び、日本を連合国から切り離しアメリカが単独支配する日本にし、安保条約を飲ませたい、そうすればアメリカの「家来」の日本ができると考えていた。安保条約を結んだ場所が、将校集会場ではなく、下士官集会場であったことは象徴的である。(木村忠彦)
§参加者の感想から
・敗戦間際の沖縄戦や敗戦直後のドタバタの裏話にはハッとする発見もあり有意義でした。
・海賊船の旗印が「日の丸」のルーツだったと聞き驚きました。アジア侵略のシンボルとして使われたのもそのルーツ故でしょうか。何となく納得してしまいました。ところでドイツではナチス時代に国旗代わりに使われていたハーケンクロイツ(カギ十字)は連合軍により使用禁止になったそうですが、「日の丸」が生き伸びたのは何故なのでしょうか。知ってる方は教えてください。
・武士の世界には忠と義(君子からのリターン)があったが軍人勅語は恩のみ求めた。この話にはますますヤラズ・ブッタクリになってきたサラリーマン世界に共通するものを感じてしまいました(もっと後の時代に生きたかった・・)
・火をもって火を消すことはできない。正規軍が勝っても国民の抵抗により敗退するとベトナム戦争の事などを例に取りながら戦争の愚かさを語った点に共感を覚えました。イラク戦争の顛末が予測できますね。中国古代の孫氏も戦争をしないのが最大の「ヒューマンセキュリティー」と説いたそうですが、今を生きてれば9条の会に賛同しているでしょうね。
・戦後日本の「国のかたち」を作ってきたのは、平和憲法と日米安保条約のダブルスタンダードであった事が判りました。一方のスタンダードを貫徹するには9条が障害になっていることも。・戦争と教育に関してもう少し聞きたかった。何故なら戦争を合法化したとしても。それをバックアップする国民の心の動員に成功しなければ、仏を作って魂を入れずとなるだろうから。・戦争を推進した愛国者と阻止しようとした愛国者がいたが、前者は戦後裏切ったのが多数いた。自分の国への思いとおなじみて、他国を尊重できたなら「鬼畜米英」という言葉は生まれなかったと思います。
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(2005.12.15発行)
10月例会・勉強会
「国民投票法と憲法を巡る国会状況」開催
10月23日にみつわ台公民館で10月例会と勉強会を開催しました。勉強会は上記のテーマで筑紫建彦氏(憲法を生かす会事務局次長)に話してもらいました。講師は長年の衆議院議員秘書経験をもとに永田町の裏話も含めて国会での憲法を巡る政党間の取り引きや、やり取りについてリアルな話に引き込まれました。
発表されたばかりの自民党新憲法案を中心に「九条」ばかりでなく「前文」や「国民の権利・義務」「政教分離」「憲法改正規定」など広範囲にわたる改正についてその危険性と実現性についてあらためて危惧をアピールされました。また、民主党や公明党の憲法改正への対応についても危険性を指摘された。
「国民投票法案」をめぐる動きとその狙いについて国民の監視と阻止する活動を呼びかけました。(藤木武夫)
やはり世論がカギ
筑紫さんの講演を拝聴しました。国会で9割以上を占める改憲派議員の唯一のアキレス腱が“国民の根強い9条支持”という指摘に共感を覚えました。自民党の中川国対委員長は「発議は4,5年先」と発言していますが、その真偽はともかく、9条を支持する国民世論が障碍になっていることは確かだろうと思います。今後、世論の分断に向けて『平和のための軍隊』などといった喧伝が強められる可能性があります。私達の活動をどう広げていくか、正念場を迎えているのではないでしょうか。(村松 勇)
自民党憲法改正草案を学ぶ
内藤専大教授を招いて
11月の勉強会は内藤光博専修大学法学部(憲法学)教授を招いて、11月22日に自民党結党50周年大会で発表された「新憲法草案」の狙い、真意、内容について約2時間にわたり質疑も含めてじっくりお話していただきました。
この草案はたんなる憲法改正ではなく、まったく「新しい憲法を制定」しようというもので、その狙いは逐条投票でなく一括投票にしようというところにある。またこの草案は日本国憲法の基本理念である「前文」の全文削除・改定に象徴されるように、「基本的人権の尊重」「平和主義」「国民主権」という現憲法の3大原則が骨抜き変容されることになる大変な改悪であると鋭く指摘された。 この草案の狙いと意味するものを次の5点にまとめられた。
1) 国益と国家の利益を第一とする 2) 戦争が出来る国にする 3) 国民の権利を制限する 4) 思想・言論・表現の自由を抑制する 5) 総理大臣独裁への道を開くもの。質疑のなかで、「若い人をどう取り込むか」「戦争の現実を若者に知らせていく」「政権交代がほとんどなかったため民主主義が機能しなかったため憲法遵守がおろそかになった」というような意見がだされた。そして最後に先生から「憲法は市民の闘いの武器である」という締めの言葉がありました。
(藤木武夫)
語り継がなくては・・・!
「若葉9条の会」世話人会恒例の学習会。今回は、専修大学法学部 内藤光博教授から、自民党憲法改訂案のねらいと問題点について学びました。内藤教授は憲法学者という立場から、現憲法と自民党憲法案の違い、例えば、「てにをは」や「修飾語」の追加などで趣旨がどう変わるか、主客がどう転倒するかなど鋭い分析をされていました。私自身大学で憲法を学んできましたので、今回は40年ぶりのゼミ参加の気持ちに浸れました。
この討論では、「教育の憲法」といわれる教育基本法改悪の策動や、現場で進んでいる基本法骨抜きの状況報告もありましたが、内藤教授への参加者からの「今の大学生は現憲法についてどう考えていますか?」との質問に、「7-8割は改憲派でしょう」との回答。これには私に少々ショックを受けましたが、続いて、「将来に希望が無く、現状肯定の若者が多いが、戦後の日本の平和維持に憲法第9条がどれだけ寄与してきたかを具体的に話すと『9条守れ』に変わります。人は変わるのです。ですから多いに語ることが重要です」の報告にホットさせられもしました。やはり教育が大切だと言う事を実感させられました。
今、日本も戦争を体験した方々が少なくなってきています。私も戦争を知らない世代です。それでも親からは戦争の悲惨さ・悲劇を聞いてきました。戦争を知らない私達が、戦争を知らない息子や娘達に、そして彼等・彼女達がその息子や娘達にどう伝えるのか?これは私達たちだけでなく、本来は国家としても大きな問題のはずです。ヨーロッパや日本を除くアジアの国々では、それを語り継ぐために官民上げて取り組んでいる。大変うらやましい事です。残念ながら日本は逆の方向に行っています。だからこそ「9条守れ」の声を上げ、この策動を打ち破りたいと思っています。(小宮豊治)
「若葉・九条の会」の輪(和)を広げましょう 織旗もできました 「若葉・九条の会」の旗を作りました。例会で旗とかでアッピールするものがほしいと話がでていました。年金者・九条の会で「平和憲法を守ろう」と緑地に白ぬきの字の旗を販売していました。団体名が入っていないものがありましたので、「若葉・九条の会」と緑のフェルトでアップリケをし、シンボルマークを刺繍しました。集会や宣伝の時に使っていただければと思います。旗竿はお貸しします。(森村 敏子)
呼びかけ人メッセージその5
§「戦争をしない国から戦争をする国」にしようと,今、憲法第9条がゴミ箱に捨てられようとしています。日本の,そして世界の平和のために「憲法守れ」の多数派づくりをめざします(小宮豊治 会社員)
§世界に誇る憲法第9条を世界の常識に!私達の闘いは,日本と世界,そして地球の未来を賭けた,壮大なロマン実現の運度でもあります。頑張りましょう!(小宮美津枝 主婦)