韓半島の平和と繁栄、統一に向けた板門店宣言
講演録 小森 陽一
民主党政権と「九条の会」の課題
「若葉・九条の会」設立5周年記念 2010/4/25 千葉市みつわ台公民館
こんばんわ。 まず今日沖縄で、9万人が参加して普天間米軍基地問題で超党派の集会が開催されました。私も呼びかけ人の一人である沖縄の集会に連帯する集会が今、明治公園で開かれています。この若葉の会は昼間行われるという予定で引き受けたんですが・・。呼びかけ人が呼びかけた集会に参加できないということになってしまったので、今この会が明治公園の集会にしっかり連帯する場になればと思います。
◆普天間基地問題とは何か
まず、今問題になっている普天間基地問題は、一体どういうことなのかということを、しっかりと理解しておく必要がある。そもそもは、1995年に沖縄でアメリカ兵による少女暴行事件が起こり、沖縄から基地は出て行って欲しいという運動がおこった。その時の沖縄県知事は大田昌秀さんでした。県知事を先頭に、沖縄からアメリカ軍の基地を無くせという運動がおきた。そして大田知事は基地のために使う土地の署名を拒否した。それこそ県ぐるみの運動だった。最高裁で負けてしまいましたが、沖縄からアメリカの基地をなくせという大きな盛り上がりがあったわけですね。
村山富市政権(1994~)から変わった自民党の橋本龍太郎首相(1996~1998)が日米首脳会談で、96年段階で向こう5年から7年の間に普天間基地を完全に撤廃するということが、当初の約束だったわけです。どこかに移設するなんていうことは全くなかったんです。単に世界で最も危険な基地を無くすという約束だったんです。96年に向こう5年から7年というわけですから、2002年から2003年には普天間基地は無くなっていなければならなかった。
じゃ何故居座ることになったのか。それは正に小泉政権(2001~2006)や安倍政権(2006~2007)の責任です。そしてそのことが日本国憲法9条の問題と密接不可分に結びついていることを、いま私たちがしっかり確認して,そのことを多くの人々に、本当の問題の解決の道筋はどこにあるのかということを、声を大にして訴えていかねばならないと思うのです。「九条の会」がしなければならないことです。
小泉政権のもとで自民党は2005年10月28日に新憲法草案を出しました。その中では9条第2項をばっさり削って自衛軍を持つことを明記した。そして、この自由民主党の新憲法草案が出た翌日2005年10月29日から、アメリカの国防総省と国務省、日本の当時の防衛庁と外務省の2+2の協議が始まって世界的規模のアメリカ軍の再編成の中、日本のアメリカ軍の基地をどうしていくのかという話の中で、辺野古移設が決まって行ったのです。
これは明らかに小泉政権と安倍政権の沖縄県民に対する裏切りです。今、こういう結果をもたらしている原因です。だったら鳩山由紀夫首相は政権交代したんだから、そのいきさつをはっきり国民に訴えて、民主党政権は小泉政権や安倍政権のアメリカ追従政策は止めますと、だって対等な日米関係とか言っているわけですから。そうやって交渉すればいいだけだったんです。じゃ何故できないのか。鳩山政権の大きな問題がそこにあるということを私たちははっきり見なければならない。
◆「九条の会」運動のはじまり
2005年10月に、なぜ自民党は新憲法草案を出すことができたのか。それは2005年9月11日の総選挙で自民党と公明党が3分の2以上の議席を取ったからです。これと「九条の会」がどのようにして結成されたのか、ということには密接不可分に結びついているということを思い出して頂きたいと思います。
皆さんのお手元に、2004年6月10日に出された「九条の会」アピールが配られていると思います。読売新聞は毎年4月第一週に憲法世論調査を行っていますが、2004年4月第一週の憲法世論調査では、65%の人が「憲法を変えた方が良い」と答え、「憲法を変えない方が良い」という人は僅か28%だった。この時、89年の生涯で一度も運動ということに関わったことがない加藤周一さんが、いまここで全ての国民に九条を持つ日本国憲法をもう一度選び直して主権者としてこれを守り活かしていく運動を呼びかけなければと考えた。いつ運動を呼びかけるか。読売新聞の世論調査で70%の人が憲法を変える方が良いと答えるようになったら、明文改憲はやられてしまう。けれども今、どの政党や、どの労働組合が呼びかけても、本当に党派を超えた、思想信条を超えた、政治的立場を超えた運動は難しい。だったら自分達知識人が責任を持って、全ての国民に運動を呼びかけるべきだと。これが「九条の会」の始まりだったんです。
そして、まず誰に相談しましょうかということになった。大江健三郎君、井上ひさし君だろうと言われて、私が個人的な付き合いがあったので、そこから交渉が始まって、今の九条の会の方々が呼びかけ人になった。最初から、9条だから9名と言うのではなく、たまたま9名になった。もっと他の方もいらっしゃいました。ご病気とかでこの運動を責任を持って出来るかどうかわからないと、お断りになった都留重人さんとか日高六郎さんとかいろんな方がいた。結果として6月10日の段階では9名の方が呼びかけ人になりました。そしてアピールを出して、6月10日に記者会見を行ったんです。確かに全ての新聞社やテレビ局が参加してくれたのですが、実際は無視されました。黙殺ですね。テレビは、6月10日の夜11時過ぎのニュースに15秒、15秒のニュースではなにも分からないでしょ。翌日の新聞には数行で、9人の名前すら紹介しない。アイウエオ順にこだわる新聞は井上ひさしさんら9名とか、権威主義にこだわる新聞社はノーベル賞作家大江健三郎さんら9名とか。
小田実さんから、(2008年に亡くなられましたが)電話がかかってきて「小森君、日本のマスメディアがここまで退廃しているとは俺は思わなかった。マスメディアが報道しなければ「九条の会」のことは伝わらない。一部の政党の新聞が伝えているだけでは駄目だ。全国で講演会をやろう。マスメディアが報道しないなら俺たちが自分の体と声をメディアにして直接国民に訴える、というようにしょう。東京は7月24日にすることになった。「何故ですか」と聞くと、「俺が全員に電話をかけた。みんながその日は空いているというので決めた。」と。それで7月24日東京集会を皮切りに全国で講演会を開きました、第2会場、第3会場と広がって、事務局長としての私は、入りきれない方々に謝るだけの生活が1年程続いた。横浜の時には、3000人ぐらいに頭をさげました。
2004年12月の那覇市集会から大きく空気が変わって来ました。沖縄タイムズ、琉球新報に1面大きくカラー写真で報道されて、那覇に行かれた小田さんは「小森君、俺は久しぶりに1面を飾った」と。
そしてこの呼びかけに応えて全国の草の根から「九条の会」が作られ始めたのが2005年だったんですね。那覇集会まではこちらがお願いして実行委員会を作って貰って講演会を開いた。けれども、2005年3月の福岡集会は主催が「福岡県九条の会連絡会」だった。つまり福岡ではまだ9人の人の講演会をやっていないのに、いろいろ聞き付けて、福岡の方々はそれぞれの地域で「九条の会」を結成して、この九条の会が連絡を取り合って、連絡会を作って、そこが主催した。この前5周年で行ってきました。若葉のこの会が5周年記念ということですから、丁度この頃に呼びかけに応えて会を作って活動を始めて来られたんですね。ここから大きく局面が変わり始めるんです。2005年7月30日有明コロシアムで1万人集会を成功させたわけです。けれども、まだ全国の「九条の会」は2000位で、これだとまだ小泉純一郎に騙されちゃったんですね。
◆小泉郵政民営化法と世界金融恐慌
2005年の夏、参議院で郵政民営化法案が否決されたにも関わらず、小泉純一郎は衆議院を解散して、郵政民営化YESかNOか、国民投票をやってね、国民を騙して、衆議院で3分の2を取ったでしょう。今から考えれば、皆さん、何故2005年の夏に小泉純一郎が郵政民営化YESかNOかの選挙をやったのか。分かりますね。頷いた方はわずか2人! 現時点で分かっていないと大損しますよ。2005年の上半期にアメリカの住宅バブルがはじけていた。私の専門は日本近代文学です。大学で明治以降の文学を研究しています。文学者に経済の話を聴くほど危険なことはないですね。でもこれからお話しする内容は、私の友人の慶応大学の経済学教授の金子勝さんの、「この話は小森さん100%正しい」という折り紙付きの話ですので、信用していただいてよいと思うんです。
2008年9月15日に起きたリーマンブラザーズやAIGグループが崩壊したあの世界同時金融恐慌の原因はなんでしたか?それも覚えていらっしゃらない?サブプライムローンでした。サブプライムローンというのはアメリカの不動産を買う時の貸付ローンのことです。いいですか。しかも何故サブプライムというか。これは普通だったら絶対お金を借りられないような低所得者に、ほとんど詐欺のように騙して、お金を貸し付けて住宅を買わせる。こういうローンです。つまり7-8年はあなたの給料でもちゃんと返済できますよ、でも7-8年を過ぎたら一気に返済レートが高くなります。だけどあなたはアメリカンドリームという国に住んでいるんだから、7-8年後はづっと給料もよくなっていますよ。もっといい職種に就いているかもしれませんよ。というほとんど根拠のない騙しでお金を貸して住宅を買わせたんです。それがサブプライムローンです。
すでに日本では不動産取引の銀行の借金のかた(担保)、債権のかた(担保)が不良債権になって返せなくなって日本がバブルが崩壊したのが1997年でしょ。その記憶がありますから直接銀行から貸したらやばい。どうしたかというと、借金のかた(担保)を原材料にして金融商品というものを、金融工学という詐欺の学問で作ったんです。2008年の秋、私は何人もの金融工学の人たちと論争しましたが、通常考えたら分かるでしょ。借金のかた(担保)が商品になるとは。これはこういうことです。お金持ちが借金するとそれを返済するリスクは低いですね、お金持ちだから。貧乏人が借金をすると返済するリスクが高いでしょ。このリスクを計算していろいろ組み合わせて、これはリスクの高いハイリスクだけどハイリターンの金融商品、これはローリスクだけどローリターンの金融商品ですよと。アメリカの金融機関が借金のかた(担保)を全部金融商品として世界中の民間金融機関に売り捌いたわけです。だから世界中の民間金融機関がこれを買っちゃったんですよ。信用して。だから世界中の民間金融機関にサブプライムローンの毒がダッと回っていったんです。分かりますね。これが90年代後半です。
本当はやっちゃいけないことを、いわゆる金融規制緩和というやつで、やった。金融ビッグバンといってやったでしょ。普通の銀行は普通の庶民の預金を預かっているとしてこういう危険な金融商品を取引してはいけなかった。それを全部していいということにして、全世界の金融機関がこれ買っちゃった。全世界にサブプライムローンの毒が回った。そして2005年上半期に住宅バブルが崩壊する。それで分かりましたか?まだ半分ぐらいしかわからない? 分かって下さいよ。今は安くて良いが、8年後には高くなるので、今借りてしまいなさいよと。8年たったら返済額が一斉に上がるわけです。それで一斉に返せなくなる。いっせいに返せなくなったどうするかといえば、一斉に住宅を売りに出す。ね、売りに出た商品ばかりで商品を買う人がいなければ、バブルの崩壊です。分かりますね。日本が郵政を民営化しなければ、2005年末か、2006年の頭に、2008年9月に起こった金融世界恐慌は起こったはずなんです。
いいですか。何故、郵政を民営化する必要があったのか。小泉さんが国民を騙す時に言ったでしょ。民間に資金を出せば有効利用できる。ホリエモンたちが儲けた時です。郵便局に預けることは要するにタンス貯金ですよ。もったいないですよと。違うんです。タンス貯金だったから安全だったんでしょ。いいですか。2005年夏、全世界でサブプライムローンの損が入っていなかった純粋に額面通りのお金は日本の郵便貯金と簡易保険だけしかなかったんです。庶民の、貧しい庶民の。だってあれは1千万円しか預けられないんですから。金を貯めても1千万円にもならないよという奴が預けているんですから。・・・私たちがね。
私も郵便局に口座を持っていました。持ち始めたのは1965年小学校6年生の時、チェコスロバキアのプラハから帰って来たのですが。その時私は月極めのお小遣いを貰っていた。正月に父方、母方両方の祖父から、のし袋に入ったそれまで見たことが無い高額紙幣を貰った。その時始めて日本の子どもは新年に親戚縁者から<高額一時金>を貰える制度があることを知った。私がこの大金をどうしたら良いか祖母に相談すると、「陽ちゃん銀行だけは危ないから止めなさい」という。何のことか分からない。いろいろ聞くと、1929年ウオール街世界恐慌が、1930年(昭和5年)に日本にやってきて銀行が取り付け騒ぎになってしまったという話をするんです。どうもこの時、小森家の財産が無くなってしまったらしい。だから銀行は危ない。1965年ですから、1930年はまだ35年前の話で、祖母にとってはまだまだ生々しい記憶だったんです。それで陽ちゃん、郵便局が安全、銀行は危ないと。
ここなんですよ、そうやって日本の庶民の殆どの人が郵便局に預けていたんです。これを全部アメリカの金融機関を助けるために差し出したのが小泉純一郎と竹中平蔵ですからね。私たちの財産、これを持っていた会社までハゲタカファンドに売り渡たそうとしているのをギリギリの所で今引き止めているんですよ。いいですか、亀井静香、皆さん嫌いだと思うんですけど。私たちの財産がどういう扱いを受けているのかということを、しっかり自覚しておかないと全部アメリカにやられてしまいます。だって今まで自民党の総裁は絶対郵政民営化を言わなかったんです。小泉一人でしょ、言ったのは。だから総理大臣になったんですよ、アメリカのお陰で。そうでしょう。小泉純一郎なんて大した政治家じゃなかったんです。
◆60年安保:軍事同盟と経済同盟の合体、橋本首相は何故辞めたのか
誰ですか?2001年の総裁選で小泉の対抗馬だったのは。2001年は今から9年前の話ですよ。思い出してください。今日は90年代の話をしなければならないんです。記憶に蘇ってこないようでは、冷や汗をかいてきますよ。橋本龍太郎です。普天間基地で頑張った。だからアメリカは絶対に橋本龍太郎に総理大臣をさせたくなかった。それだけじゃありません。橋本龍太郎は日本の山一証券が潰れ、日本の金融がガタガタになった。全部アメリカが仕掛けたことなんですけどね。それに対して、橋本龍太郎は反発を持っていた。総理大臣の時にね、外国人記者クラブの講演で大失敗をしてしまう。講演が終わった後、外国人記者から質問があった。最近、中国もロシアも経済的な力を付けてきた。いろんな国の国債、国債というのは予算でお金が足りない時借金をするわけですがその借金のかた(担保)が国債でしょ。それを皆んな買うわけですね。いろんな国の国債を売ったり買ったりする。
普通国債というのはその国の信用が低いと安く、その国の企業が頑張って、例えばフィンランドのノキアが頑張っている時にはフィンランドの国債ががっと上がる、上がったら売って外貨準備を増やすというのが普通の話じゃないですか。しかしアメリカは双子の赤字をかかえている。つまり貿易も赤字、国家財政も赤字。双子の赤字を抱えているアメリカの赤字国債を日本はずっと日本の国民の税金で大蔵省が買い続けてきた。一度も売っていません。何か特別な理由があるんですか。こういう質問をしたのです。良い質問ですよ。本質をついた。橋本龍太郎さん、日本語で、「私だって売りたいという願望に駆られないことはない」とポマードの頭を撫ぜながら。三重否定した。だけど通訳がメチャメチャな訳をした。「私は売りたい」と訳してしまった。翌日のアメリカの新聞に橋本龍太郎の裏切りと大バッシングが起こった。
だけど橋本龍太郎は嘘を言ってないんです。安倍晋三の母方の祖父岸信介が、1960年に日米安保条約を改定しました。それまでは軍事同盟だけでした。アメリカの核の傘で、ソ連の核の脅威から日本を守ってあげるよというのが日米安保条約。これまでずっと守ってやってきた。高度経済成長した1960年以降、64年には東京オリンピックだってやるじゃないか。だったらこれまでお世話した分、これから返してくれというので、経済同盟と合体したんです。日米安保条約が軍事同盟と経済同盟が一体化されたために、毎年アメリカから年次経済要求というものがきて、ずっと日本が金を貢ぎ続けて来たんです。いいですか、日米安保条約ほど私たち庶民にとって損な条約はないんですよ。もう今不況ですからお金の話には敏感ですから、そこらで対話を拡げて頂きたいと思うんです。普天間基地問題で一緒に声明を読み上げた経済学者の宇沢弘文さんは、安保改定50年でしょ今年、この50年間で安保があるおかげで日本人はどれだけ損をしたのか、700兆円は下らないというのです。700兆円というお金、実感がないですが、皆さん、自分の貯蓄を考えてみて下さい。今ゼロ金利でしょ、悲しいでしょ、1年間預けてみても定期にしたって雀の涙どころか蟻の涙にもならない。いつからそうなったのか。それは日本のバブルにアメリカが腹を立てて、日本に金が行かないようにゼロ金利にしたからです。アメリカに全部金が行くように。皆さん、金利がずっと3%だったら自分の今の貯金が幾らになるか計算して悔しさをしっかり噛みしめて下さい。隣の人とも。特に年金生活者がこの会場に多そうですから。本当に損しているのですよ、それ全部日米安保の経済同盟のせいです。
で橋本龍太郎を絶対に総理大臣にしたくなかったから、あの小泉が郵政民営化を掲げて立候補した時、日本のワイドショーのスポンサーは全部入れ換わったんでしょ。アメリカンダイレクト、アリコといえば、2008年にリーマンブラザーズと一緒に潰れたAIGのグループですよ。AIGグループというと日本ではガン保険とか医療保険しか知られていませんけど、あそこの儲け頭には二つの部門があって、一つはアメリカ軍の保険です。将校がイラクに行ったら命は何ぼ、イージス艦でどこそこに行ったら何ぼ。AIGが潰れたらアメリカ軍の軍事機密が全部ばれるから税金を入れて救ったんです。もう一つはさっきのサブプライムローンのように今の金融機関は危険な金融商品を取引していますから、リスクが発生する訳ですよ。保険と言うのは危険に掛けるわけですよ。金融取引の保険というのをAIGは持っている。2008年9月15日AIGが終わってしまうと、全世界の金融機関が終わってしまうから、アメリカ国民の税金を入れてそこから損失補填を吸い取る。だからキャンベル資本主義とか、カジノ資本主義とかいったそんな生ぬるいものじゃない。死んでる会社に国民の税金を入れて他の金融機関が吸い取るというドラキュラ資本主義なんです。<A>がついたら要注意です。アフラックとか。
◆状況を変えた「九条の会」
2006年から2007年「九条の会」は広がっていきました。「憲法を変えないほうが良い」という人が増えました。九条の会の草の根の活動のためです。2007年、老獪な政治家、当時の民主党の代表だった小沢一郎によって、国会の特別委員会では新憲法を制定するための手続き法の国民投票法が審議されていました。民主党案に自民、公明が乗ろうとしていた。これに対して小沢一郎が、読売新聞に憲法世論調査が出た10日後、この特別委員会の枝野議員を辞任させた。安倍政権が進める改憲路線から、民主党は世論の動向を思い憚ってはずれる。そのあと、安倍政権は強行採決に次ぐ強行採決を行って、皆さんも危機感を燃やし、いろいろ活動されたんだと思います。国民投票法案を、5月14日強行採決で参議院を通過させた。5月14日は私の誕生日なんですよ。「九条の会」の事務局長の誕生日にこんな暴挙を働いて、目にものを見せてやるぞと、・・・。
7月29日の参議院選挙で自民、公明が大敗し、民主党を始め野党が参議院で多数派になった。いわゆるねじれ国会になりました。だけど自民党の改憲派は野望を捨てていません。選挙があった翌日、日本の改憲派のボスである読売新聞グループの会長である、渡辺恒夫が自ら筆をとって、実際は筆ではなくペンをとったのでしょうが、もはや大連立しかない、という社説を載せた。これが4月30日。そして翌日、2日間鳴りを潜めていた小沢一郎が記者会見を開いて、安倍政権が進めようとしているテロ対策特措法の延長、これはわかりますね、2001年の9月11日、これをやったのはビンラデインを始めとするアルカイダという国際テロ組織だとブッシュが言って、ビンラデインはアフガニスタンにかくまわれているといって、アフガニスタン攻撃を始めた。最初は12カ国、途中で11カ国になる。この有志国に、インド洋で日本の自衛隊が、軍艦には直接給油できないが、軍事行動する艦船に給油をするという対テロ対策特措法ですね。これをずっとなし崩し的に延長してきた。これに小沢一郎さんが反対する。しかも、その理由として憲法違反だと言ったんでしょ。私は、小沢一郎の口から憲法違反という言葉が出てくるとは夢にも思いませんでした。でも、小沢一郎という政治家の持論からいうとそうなんです。このあとそのことを話します。
そして、いっちゃんが反対したからというので、9月12日安倍が辞任して福田康雄が総裁になりましたが、この対テロ対策特措法が日本では10月31日に切れるんですが、時差がありますので、インド洋上で切れるのは日本の時間で言うと11月1日になる。11月1日に何をやるかというと、小沢一郎と福田康夫が渡辺恒夫の仕掛けでね、突然の党首会談、極秘でね、そして大連立をぶち上げた。でも国民の大反発で、これは未遂に終わった。まさに国民の草の根からの世論が政治を揺さぶり続けたんですよ。
そして、2008年4月第一週の読売新聞の世論調査では、13年ぶりに、いや15年ぶりに、「憲法を変えない」という人が、「憲法を変える」という人を上回った。悔しそうな、一年前にもまして悔しそうな報告をしている。この15年ぶりというのは、2008年から15年を引くと何年?1993年でしょ。1993年4月の世論調査からずっと読売新聞が世論調査をすると、ずっと「憲法を変えた方が良い」が多数派だった。その状況を私たちは4年間で変えたんです。じゃ、何故93年か?93年に何が起こったのか思い出して下さい。
◆いま、過去の記憶から学べ
1993年の夏、今のように新党がぼろぼろ生まれて、自民党単独政権が崩壊したんですよ。マスメディアは、あたかも去年2009年に初めて政権交代したかのように言っていますが違います。93年の夏、宮沢喜一政権が倒れ、そのときの立役者は羽田孜を立てて新進党を作って自民党をおん出た小沢一郎と武村正義を立てて新党さきがけを作って自民党をおん出た同じ旧田中派の竹下派の鳩山由紀夫。小沢一郎と鳩山由紀夫、今の政治の中心と全く同一人物なんですよ。
私は神様でないから未来のことは分からないが、しかしね、記憶は持っている。かって過去においてどういう事態が起こったのか、現状と似ていれば、同じようなことが起こるかも知れないと。しっかり注意を固めて、ここに騙されてはいけないと、過去の教訓を皆で語り合う必要がある。この役割を担っているのが「九条の会」なんです。「九条の会」は、年がら年中九条について、九条を中心に全てを考えるという、そういう極めて珍しい会なんです。まさに九条問題が大きな政治課題になっているのです。93年のこういう事態の中心にいたのは小沢一郎なんですね。
◆日本国憲法9条と国際連合憲章
90年8月、イラクがクウェートに侵攻しました。これから、皆さんのお手元にある国際連合憲章を見ながら、日本国憲法九条と国際法というのがどういう関係にあるのかということをお話します。イラクがクウェートに軍事侵攻しました。これは国連憲章第2条違反です。第2条を見て下さい。「・・・すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。・・・」(第2条)。日本国憲法第9条第1項と同じですね。日本国憲法九条第1項は、先ほど、きたがわてつさんが歌ってくれましたが、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」(九条第1項全文)。日本国憲法九条第1項は国際標準です。
5千万人の犠牲者を出した戦争の反省の後出来た国連憲章では、武力による威嚇や先制攻撃は絶対にしてはいけないというのですね。国権の発動たる戦争は第一次世界大戦の後、国際連盟を創って、ほとんどの国が批准したパリ不戦条約以降、国権の発動たる戦争は国際法上やってはいけないことになりました。それで関東軍が実質上戦争をしていても、これは戦争じゃなくて、満州事変だと、上海に飛び火しても上海事変だと、さらに中国全土に広がっても支那事変だとか、日華事変だとか、言葉だけを変えて誤魔化していたが、戦争は国際法上してはいけなかった。
この国連憲章にイラクが違反した。国連憲章に違反した国がでると、直ちに安全保障理事会が開かれる。次に第39条を見て下さい。「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるか決定する。」(第39条)。この国連安全保障理事会は、東西冷戦、ソ連とアメリカが核兵器をどんどん作って対決していくという東西冷戦のときには機能していなかった。どうしてかというと、国連安全保障理事会は15カ国で構成されていますが、そのうち米、英、仏、中、ソの5カ国が常任理事国、第2次世界大戦の戦勝国、この5カ国だけが核兵器を持っていてもよいというとんでもない不平等条約が、こんど5月に見直し会議があるNPT条約、核不拡散条約ですね。核兵器を持っていいというだけでなく、この5カ国は拒否権を持っている。この一カ国でも拒否権を発動すると、国連安保理事会決議を上げられない。東西冷戦の時は、社会主義国ソ連と中国がアメリカが何かやろうとすると拒否権を発動し、その逆の場合はアメリカが拒否権を発動し、それで機能しなかったんですね。
例えば、1989年にベルリンの壁が崩れた。<世界は一つ>という中で、ゴルバチョフとブッシュが仲良くなっていて、中国は89年の天安門事件で大きな顔を出来なくて、それでこの決議が上がったんですね。第41条というのは経済制裁、第42条は軍事制裁。この時には、軍事行動を含めた経済制裁をするという国連安保理決議が上がった。この時の日本の政権は海部俊樹政権です。自民党の幹事長は小沢一郎だった。なんで、河野派という弱小派閥の海部俊樹が総理大臣になっていたかというと、その前の年89年、竹下登首相の時、リクルート社という就職情報社が株式を上場する前に、その株を自民党政治家全員に配りまくって、上場した瞬間、みんながぼろ儲けするということをやっちゃったというリクルート事件が起きて、政治と金の問題で自民党が完全に汚れきってしまって、それで竹下登が辞任するという事態になったんです。
◆小沢一郎のシナリオ
だから総理大臣になれそうな有力な政治家がいなかった。いるとしたら、汚いお金がまわって来ないやつ、すなわち無能なやつか、自民党のハト派しかいなかった。自民党ハト派より、無能な海部の方が安全じゃないか、目付役として小沢一郎が入って、海部俊樹政権ができた。そこに、アメリカが完全武装の自衛隊を、このイラクのクウェートに侵攻した事態に対する国連の平和維持部隊、英語でpeace keeping forces、PKFと略す、これに日本の自衛隊を出せという海外派兵の要求を突きつけたのが90年秋だった。
小沢一郎は直ちに、それまでの自民党の歴代内閣の憲法解釈の議論を変えて、完全武装の自衛隊をこの湾岸戦争に派遣してもかまわないという国連平和協力隊法という法律を国会に提出した。1990 年秋です。だけど国会に出てきた法律案が憲法に抵触するかどうかを判断するのが内閣法制局で、この国会で内閣法制局長が、この法律、「国連平和協力隊法案」は憲法に抵触する恐れが高いという発言をした。20年前ですよ。これをずっと恨みに思っていた小沢一郎は、今度、国会改革法で、官僚に発言させない、それには内閣法制局長も入るんだぞ、と。こうして内閣法制局長がいないところで、元自衛官の国会議員が福島みずほを3月12日に吊るしあげたでしょ。あんたは自衛隊を合憲と思うか、と。そういう、いいですか、小沢一郎は、そういう20年前の恨みを今はらす、そういう政治家なんですよ。彼の記憶力に私たちが勝たなければ、だまされるんです。「最近はちょっと年をとって・・」というのは、「9条の会」には許されない。如何に記憶を確かに持つか、そうなんですよ。内閣法制局長が憲法違反の恐れが高いと言って、これ廃案になっちゃうんです。
で、アメリカは文句を言ってきた。日本は自衛隊を出せないから、国民一人当たり1万円、一兆三千億円を超える軍事費を拠出したのに、アメリカが日本は金だけ出して、血と汗を流さないのか、といった攻撃をかけてきた。これが、小沢一郎を始めとする自民党の幹部連中の、いわゆる湾岸戦争トラウマですね。小沢一郎は何と言っても、自衛隊を海外に派遣する、だって日本は金だけ出して血と汗を流さないという、後にアメリカはshow the flag、旗を出せ。と。そして小沢一郎は、PKF、すなわち実際に軍事活動をする部隊は出せないが、戦闘が終わった地域で平和を維持する活動をする、英語で言うと、peace keeping operation、PKOには自衛隊を出しても良いのではないかという法律を作るわけです。これを国会に上程する、そして海部俊樹内閣は総辞職する。
ここから、小沢一郎がアメリカの軍産複合体と日本の財界から担わされた政界再編成という名のクーデターが始まるわけです。政界再編成の狙いは全部で4つ。
① 自民党のハト派をつぶす、
② 日本社会党をつぶす、
③ 小選挙区制を導入する、
④ これによりいつでも大連立により明文改憲ができる二大保守、いや二大政党制にする。
これが小沢に担わされたミッションです。分かりますね。
ソ連が91年に崩壊します。そうしますと、かっての東ヨーロッパ地域が資本主義の大市場となって、そこで安い労働力が作られ、やがて中国もインドもそうなるだろう。一番大事なのは太平洋からインド洋にかけての地域でしょう。つまりアラビア半島で石油を採ってこっちへ持ってきて生産して作った自動車と家電製品をまた向こうに持って行って売る。これシーレーンと言いますね。ここが一番大事な世界的な根拠、経済と政治の拠点になるわけです。で、アメリカは出来たら日本にやらせたい。日本の財界もアメリカ軍に守ってもらうより日本の自衛隊を海外に派兵して守って貰う方が良い。邪魔なのは自衛隊の海外派兵を憲法違反ですよと言い続けた自民党ハト派と日本社会党ということですね。自動車産業と家電産業の労働組合は、社会党をパスしたと言って連合を作ったでしょ。そういう時代ですよ、1990年、1991年は。
で、小沢一郎は自民党の中で憲法調査会を作ってね、自民党の従来の憲法解釈を180度転換しようとした。先ほど歌っていただいた日本国憲法前文の第2段、すなわち恒久平和の原則です。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあるでしょ。小沢一郎は、これが憲法九条より上だと、つまりイラクがクウェートに侵攻したということは平和を愛する諸国民の公正と信義が軍事力により踏みにじられたのだから、完全武装の自衛隊を国連安保理の決議があれば、送るのはかまわないという、そういう議論をするわけです。そして海部俊樹政権は、このPKO法案を国会に上程して総辞職した。そうすると、そのあとはハト派が担うしかない。
◆日本の再軍備と憲法九条の縛り 海外派兵と集団的自衛権
それで宮沢喜一さんは仕方なく最後の自民党派ハト派政権をつくり河野洋平さんが官房長官になった。そして仕方なくPKO法案を上げざるを得なくなった。でも、宮沢喜一さんは小沢委員会の憲法解釈をとらなかった。絶対にそういう解釈は採らず、従来の自民党通りで、つまり自衛隊は九条第2項で、陸海空軍の戦力ではなく、自衛のための最低限の実力ですと言う、つまり実力行使しか出来ないんですという原点に戻ったのですね。ここが非常に大事です。ここが自民党という政党の自衛権という言葉の解釈に深く関わっていたのですね。
ここで国連憲章第51条を見て下さい。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」(第51条)。これが自衛権です。動機は分かりますね。武力による威嚇も武力の行使もしちゃいけない。先制攻撃もだめだ。それに反した国が出てきて、攻撃された。その国に対して制裁を加えるのは国連安保理なのだけれども、制裁を実行する前にやられっぱなしというのはかわいそうなので反撃してもいいですよと。反撃する際に一国だけでやるのは個別的自衛権の行使、よその国と軍事同盟を結んでつるんでやるのを集団的自衛権の行使。この集団的自衛権の行使が、第二次世界大戦後、戦争が無くならなかった最大の理由です。アメリカと軍事同盟を結んだ国と集団的自衛権の行使としてやった、ベトナム戦争だってそうです。アメリカと南ベトナムとの間の2国間軍事同盟にもとづく集団的自衛権と称して、アメリカは北爆をしたのです。アメリカの艦船がトンキン湾で爆破された事件、トンキン湾事件をデッチあげて行ったんですけど。
けれど日本の場合はね。自衛隊ができたのは1954年、朝鮮戦争の中で再軍備の流れが出来てきたのですね。自衛隊を創った人は軍隊を創ったと思っていますから、憲法を変えないといけないと思っている。憲法を変えるためには2大政党、一つの保守党だけではだめで、2つの大きな保守党が一緒にならなくちゃ、ということで1955年当時の自由党と民主党が合体して出来たのが自由民主党ということでしょ。初代総裁が鳩山一郎です。鳩山兄弟は絶対信用してはいけないですよ。血筋として改憲の家ですから。
それはそれとして。3分の2以上を取ろうとしたが取れなかった。憲法を変えるということは、国民が絶対に許さない。自由民主党という政党はね、自衛隊を創ったのに九条は変えられないという結党当初から股裂き状態にあるんです。そうしたら、どう説明をしてきたかというと、先ほど言ったように、自衛隊は憲法九条第2項と合致しています、陸海空軍その他の戦力ではございません、自衛のための最低限の実力でございます、日本の領海内に攻撃があった時に実力行使をして反撃するだけなので交戦権は認めなくてよいのです。大した説明ですね。ずっとそう言い続けてきたのです。だって国民は軍隊をつくったじゃないか、憲法違反じゃないかと文句を言っているわけですから。
毎回予算委員会で、自衛隊の装備としてなにを買うかということを議論する際、必ず九条第2項をめぐる議論をしているわけですよ。これは有名な話ですが、アメリカの自動車会社からタンクを買う時、野党議員が、「総理、今度買う装備は数年前までは戦車と言っていたでしょう、戦車が自衛隊の装備として配備されるなら、自衛隊は陸海空軍その他の戦力に当たるんじゃないですか」と質問したら、第4次吉田内閣の吉田茂首相が答弁に立ち、「あの車両は戦車ではございません、特車でございますと」と言った。みなさん、笑いごとではなくて、こういう議論が必ず防衛庁の予算が審議されるときやられているんですよ。笑いごとではないでしょ。今私が究極の解釈改憲法だと思っている海賊対処法では、海上自衛隊の護衛艦がアデン湾、さっき言ったシーレーンに行っているでしょ。暇だったら護衛艦というのを広辞苑で引いてみると、駆逐艦とでている。だったら駆逐艦と最初から言えよ。だけど「駆逐」というのは攻撃的な言葉ですね。そういうのは自衛隊の装備としては持っていてはいけない。もっと暇なら、駆逐艦というのを和英辞典で引いてみると、destroyerと出てくる。破壊者です。そうやって自衛隊が持っている装備は全部戦力ではございません、実力ですと言ってきた。だから自衛隊は実力行使をするだけです。だから、たとえ日米安保条約という2国間軍事条約を結んでいても、戦争ができるアメリカ軍と戦争ができない実力である日本の自衛隊が一緒に合同することが出来ませんというのが、集団的自衛権は憲法違反ですということです。そして日本の領海内で攻撃されたときに実力行使を使う。したがって日本の実力装備は日本の領海内でしか使えない。外に出ると使えない。従って、結果として自衛隊の海外派兵は憲法違反です。こういう路線で自民党はずっと来ているんです。 宮沢さんはこれをしっかり守ったんです。非常に厳しく。だから自衛隊が行けるのは非戦闘地域、戦闘が完全に終わってもう実際にそういうことが起こってない地域、この縛りが小泉純一郎を縛ったでしょ。完全武装の陸上自衛隊を派遣、国会で議論になりました。どうしてイラクという国が戦闘状態なのに、サモアだけが非戦闘地域なのかと。そうしたら、追いつめられた小泉純一郎は、居直って自衛隊が行く所が非戦闘地域なのだと。ちょっと待てよ、因果論が逆転しているんじゃないの。小泉さん行き詰まちゃって、武器も使ってはいけません、自衛隊員が持って行くのは、非戦闘地域なので武器は持っていかない、警察が自分の生命を守る正当防衛に必要なピストルと棍棒ぐらい。PKOで行く自衛隊員は自衛隊法ではなく警職法を流用して警察官を縛る法律の下で武器を持っていく。だから重装備の陸上自衛隊は使えない何も使わない装備を持っていくでしょ。
非戦闘地域かどうかの問題で、2008年4月17日の名古屋高裁の判決は、イラクの現状を調べて航空自衛隊の協力していたことは戦闘行為ではないかということを、裁判自体は負けましたが、イラクで航空自衛隊がやっていることは憲法9条違反だということを明確にしました。それに怒った田母神がぶっちぎれてああいう体たらくになった。