「若葉九条の会」ニュースレター No 40 (2011.8.6発行)
若葉九条の会広報部 代表木村忠彦 043-255-3904 ホームページ http://wakabaarticle9.com/
お知らせ
原発学習会パート III 原子力発電に依存しない社会は可能だろうか?
日時:8月21日(日)午後2:00~4:30
場所:みつわ台公民館講堂
講 師:本島勲さん 日本科学者会議エネルギー・原子力問題委員会委員
工学博士(岩盤地下水工学)
主 催: 憲法を読む会・若葉九条の会
参加費:無料 問合せ・連絡先 木村忠彦(255-3904)
下の図はニュースレター39号に掲載されたものです。今回の学習会の参考になるかと思いここに再掲します。
「戦争を語り継ぐ」、田中武利さんの「戦争時代の子どもの生活」をお聞きして
5月29日(日)みつわ台公民館での例会は「戦争時代の子どもの生活」と題して、若葉区桜木在住の田中武利さん(全国年金者組合若葉区支部長)がお話されました。田中さんは81歳になられますが、戦争の時代を振り返りながら時間と歳を追って思い出すようにお話され、その語りはアルバムをめくっているような臨場感溢れるものでした。
恩師の戦地召集に刺激され、自ら15歳で特年兵として海軍に志願入隊。既にこの時死を意識し、妹さんに赤い布入の草履、家には竹箒を作ったとのこと。何か痛ましさと健気さに涙を誘われました。
入隊は昭和20年の5月で8月には終戦を迎えたのですが、隊は解散することなく沖縄や北海道などの機雷掃海作業に2年位も当たらされたとのことです。
田中さんからは、日本軍隊の実態やアメリカ軍との違いなど、たくさんのエピソードが話されました。日米軍隊が一緒になって行った掃海作業で知り合った若い米兵との交流の話しは、ご本人も懐かしそうに語っておられたのが印象的でした。
それにつけても、わずか14歳、15歳の少年が死をも覚悟して軍隊に志願するという当時の異常な日常。田中さんから、こうした生のお話しをお聞きし、日本の侵略戦争が国民の命と犠牲の上に行われた犯罪であったとあらためて学ことができた1日でした。 (都賀の台・小宮豊治)
参考資料:5月29日(日)の補足
私の戦中、戦後年表
若葉区桜木・田中武利
1930(昭和5)千城村に生まれる
1931 満州事変 中国侵略戦争開始
1937 支那事変 小学1年
1938 南京大虐殺について父と一緒に朝日新聞記者から聞く。記者は国民に知らせたくとも一字でもそれに触れると新聞は発禁処分になるから記事にはできないと言った。この頃大網街道に沿って傷痍軍人療養所ができる(結核)。外気患者が周辺の部落に毎日遊びにやってくるようになった。つづいて千城園、松籟荘病院(いずれも結核)が出来た。1941 大東亜戦争
1945 3月 小学校高等科卒業
5月 海軍武山海兵団入団
8月 広島、長崎に原子爆弾投下
8月15日 敗戦 海兵団から海軍東京警備隊に移る。海防艦乗船
1946 1月 海防艦倉橋に移る(掃海隊) 掃海海域=津軽海峡、宗谷海峡、東北太平洋岸、沖縄 海域等
12月 掃海隊解散 倉橋下船 復員。 私だけ艦船運航部付となる。復員を申し出る。貨物船乗船
1947 4月 小名浜港沖にて座礁。2ヶ月離礁に努力したが不可能であった。帰郷
6月4日の「九条の会講演会」は入場券を早々に手配していたが、4月22日に脊椎管狭窄症手術で1ヶ月入院、3ヶ月間コルセット着用となり、参加は無理と思っておりましたが妻が一人でも参加したいが方向音痴で日比谷公園に行くのが心配といいますので私もいっしょに行くことになりました。会場周辺は警備のおまわりさんが多数居りましたが右翼の街宣も見かけず、いつになく穏やかでした。2000人以上の参加ということで会場は満杯でしたが、そんな中で後部座席で聴きなれた声がと思った矢先「信太さん」と声をかけられ振り返ると鎌倉さんでした。あの混雑の中で、良く近いところに席が取れたと驚きました。
場内の音響が悪かったのと腰痛に気を取られていたせいか講演の内容が聞き取れず残念でしたが演者の熱意には敬意を覚えました。澤地さんのお話は歯切れもよくユーモアに富んでいて各地の「九条の会」の連携の大切さを強調されていました。
九条の会のチラシで6月11日、反原発のデモが千葉市葭川公園で催されるのを知り参加いたしました。腰痛が心配でしたが無事完歩できました。参加者は乳母車、幼稚園児、小学生を伴った若い夫婦や学生が多く、沿道の人々も好意的で明るく華やかなデモ行進でした。参加人数も出発時、300人ほどでしたが途中参加の人もあり、終着時には410人とのことでした。
翌日の朝日新聞には新宿のデモが取り上げ
られ、全国各地で「脱原発」を訴えるデモや集会が広がっていると報じられましたが、いつものことながら千葉版には市内のデモには一切触れられていません。民主主義の原点である大衆運動について報道されないのは残念です。
これから、九条の会も今回の「反原発デモ」の参加者のような子ども連れの若い夫婦や学生が気楽に参加できるような会になればと切に願っています。 ( 西都賀・信太栄吉)
本 佐野真一著「津波と原発」
佐野さんは3月19日には、南三陸町の志津川病院にはいり、津波に襲われた現場に立っている。被災地で昔、新宿でおかまバーをやっていたママこと、本名金野栄久夫を探し当てる。津波研究の第一人者で日本共産党の元幹部の高齢の山下文男氏にあった話。にんげんくさくておもしろい。
後半(といっても全体の4分の3を占める)の「原発」は圧巻。1994年にNHKで放送されたスクープドキュメント「原発導入のシナリオー冷戦下の対日原子力戦略」(ニュースレターNo.39にて紹介済み)
の登場人物、正力松太郎、柴田秀利、電力会社の権力者、地元福島の浜通りの人物、県会議員や知事、大物小物を含めて、今の福島原子力発電所のルーツが鮮明に。それにしても堤庚次郎が三万円で手に入れた土地を東京電力に三億円で売ったそこに今、原発が建っているとは! (都賀の台・鎌倉淑子)
講談社 2011/6/18 刊1500円
和合亮一の詩集から
酪農家が
大型トラックで運ばれていく牛たちを見て
大粒の涙を雫している
「僕の25年は終った」
「詩の礫」より
南相馬市原町区が
屋内退避区に指定されたとき
私は 商店街のみなさんや
あなたのことを 想った
海沿いの そんなにおおきくはないけれど
元気な街を 思い出して 悲しくなった
たくさんの人がこの町から
避難していった
ある夜
深夜
あなたは 愕然とした
暗い街 真っ暗な 通り
この街には 違うものが 住んでいる と
「詩の邂逅」より
お出かけ情報
▲千葉空襲写真パネル展 考えよう 平和の大切さ
日時:8月2日~8月15日
場所:そごう千葉店地下ギャラリー ・空襲写真 ・原爆写真
主催:千葉市(平成元年:平和都市宣言 平成21年:平和市長会議加盟)
▽子どもたちの安全と未来のために
~放射能汚染と私たちの健康 を考える
日時:8月13日(土)13:30
場所:四街道市文化センター大ホール
第1部:被災地へ思いをはせて 支援ミニコンサート
第2部:講演「放射能汚染と私たちの健康」崎山比早子
福島からの報告
入場料:499円
主催:実行委員会
☆ 第29回・反核平和の親子映画会
日時:8月20日(土)13:20~15:00
場所:千城台コミュニティセンター
「つるにのって」「夏服の少女たち」
無料
◆ピース・フェスティバル
日時:8月21日(日)12:30~16:10
場所:千葉市民会館大ホール
演奏:松野 迅 [ヴァイオリン]
公演:松元 ヒロ [ 風刺コント]
入場料:大人1500円 学生・障害者 1000円 小・中・高生 無料
主催:核兵器廃絶をめざす千葉県平和事業実行委員会
◎ 若葉・九条の会第3回原発学習会
原子力発電に依存しない社会は可能だろうか?
日時:8月21日(日)10:00~16:30
場所:みつわ台公民館 講堂
講師:本島勲
エネルギー・原子力問題委員会委員(地球科学研究所)
参加費:無料
第26回戦争責任を考える千葉の集い 〜 証言と鼎談〜「福島・沖縄」
日時:8月21日(日)13:30-17;30
場所:千葉市生涯学習センター3F
鼎談司会:成澤宗男 関久雄(福島から)
安次富(アシトミ)浩(沖縄から)
参加費:無料
▽ 放射能汚染と私達の健康を考える会
「福島原発事故と健康被害」
日時:9月I日(木)18:30-21:00
場所:千葉市民会館 4F
演者:崎山比早子
主催:原発をなくせ ちばアクション 連絡先: 043-202-7820
編集後記
宮沢賢治の詩のように「・・おろおろ あるき・・」だれもいない細く長い道を、襤褸をまとい 独りで歩いているゆめを見た。
3.11はまさにボディブローのごとく効いて来ている。佐野真一さんは言う「いま私たちに問われているのは、これまで日本人がたどってきた道とはまったく別の歴史を、私たち自身の手でつくれるかどうかである。それしか日本復活につながる道はない。」と。 (都賀の台・鎌倉)