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ニュースレター

ニュースレター 7
第7号(2006.5.19発行)
第1回「語り継ぐ会」開催
「若葉・九条の会」は2005年5月に発足以来、講演会、学習会、コンサートなどをみつわ台公民館で行ってきました。<世界に平和をつくりだしたい、日本を戦争する国にしてはならない>と願う私たちの輪(和)を広げてきました。  2006年度は、月1回の定例会を「シリーズ・語り継ぐ」として、地元千葉在住の先輩方にお話を聞く予定です。
第1回は、去る4月23日本会の監事でもある伊藤清さんの戦争体験のお話で、19名が参加、時間をオーバーするほど、熱のこもったミーテイングでした。
歴史とメモ
1937年7月:盧溝橋で日中両軍衝突 日中戦争始まる
同年12月:南京攻略
1941年:伊藤さん入隊(初年兵)
同年12月:真珠湾攻撃 日米開戦
1942年:伊藤さん中国戦線(湖北省)に:中国ゲリラ襲撃激化 戦争泥沼化
1944年:南方でも日本軍敗退 「玉砕」「転進」などの情報
1945年8月:米軍,ヒロシマに原爆投下
8月16日:敗戦を知る
銃声のしない太陽の下で「生きている喜びを噛みしめた」。徹底的に暗記させられ、間違えると鉄拳制裁であった「軍人勅諭」を燃やした時はうれしかった。
1946年6月まで捕虜収容所 同月帰還
「戦争で被害を受けた。つらい目をみた。もう戦争はこりごりである。だから憲法9条を守りたい」こう思うことは、大切なことだと思いますが、今日は私たち日本人が中国でどれだけ中国の人々に被害を与えたか、ひどいことをしたか、その加害者の立場から平和の大切さを忘れてはならないことを話します。
殺し、殺されるのが戦争。人間の死が日常的な出来事になる。恐怖心、仲間の死により敵に対して憎しみ、復讐心がわく。軍隊では上級者から殴られ痛めつけられるから、下級兵士はより弱い女、子ども、老人に暴力的になる。相手は中国の貧しい農民。教え込まれた差別意識もある。民家に押し入って略奪、放火、強姦を平然と行うようになる。
見せしめのために、農夫を妻、子どもたちが命乞いをする目の前で、焼き殺すこともした。
<戦場で人間が変わる。人間でなくなる>
家庭にあっては平凡な父、やさしい夫、親思いの子であった者が中国人を虫けらのように殺すように何故なったか。戦場での日本軍の残虐な行為は、幼少年期から教えられた教育勅語、成人に達すると軍人勅諭により忠君愛国教育が徹底して行われた。天皇のために死ぬことが最高の名誉と心得る肉弾ロボットがつくられた。天皇から授かった菊の紋章がついた武器、兵器のほうが兵隊1人の命よりも大事とされた。人間の尊厳など無。
好戦的な物語、手柄話、民族的優越感、アジア諸国の民衆に対しての蔑視が植え付けられた。少しの疑問を持つことも許さない。疑問をもつ自由がない。思想、良心の自由を奪った。戦場では人間が人間でなくなる・・・このことを忘れてはならない。
憲法9条は人類が到達した叡智だと思う。戦争放棄、軍備全廃は犠牲となった中国人、アジアの人々への日本人からの「ふたたび戦争はしません」という誓約である。
※話し合いの中から
▼戦争の「昭和」を子どもたちにどうやって伝える か。学校教育で教えてきたのか。
◇ 教えてきた実践は、沢山あるけれども、これでよいとは思えない。歴史の授業は古墳時代から始まるから、一番大事な近、現代を丁寧に教えることが困難である。
▼どうしたら、子どもたちに伝わるか。写真、絵を使った実践もあるが、学校教育だけの問題ではないと思う。いま、私は、日本人は50年、なにをしてきたのかと自問している。
◇「南京大虐殺」について今又問題になっており、虐殺はなかった、数字は捏造という 論までありますが、私の子どもの頃の記憶が実はあります。私の家(今の川戸地域、当時、松林があり空気が良いため結核療養所がいくつかあった)に東京から女の人が、結核の療養にきていました。夫と言う人は一度も見舞いに来ず戦争が終わったときに初めてきました。その人は従軍記者で、家の私の両親と話しているのをききました。南京で皇軍が大変なことをした。世界中で大問題になっている。各国の記者は「南京事件」を本国に打電しているなかで、日本人の記者だけに情報が遮断されていたと。日本の新聞、日本人だけが知らされなかったのだとあとから、気付きました。
▽ 復員してきた人が、はなしているのをききました。強姦なんかあさめしまえだと中国の女の人は、顔に墨をぬっていました。下半身には強姦を免れるために大便をぬってた。
◆下北半島には戦争中、鉄道工事、ドック建設などに従事する朝鮮人飯場が多数あった。敗戦直後朝鮮へ送り返すことになった朝鮮人3,700人を乗せた「浮島丸」が釜山には行き着かず、何故か舞鶴港で沈没した事件がある。大湊周辺では、鉄道の枕木一本一本は、朝鮮人一人一人のからだだといわれたという。子どもの頃きいたことです。どういうことだったのか知りたい。
◇今の「憲法を変えよう」という問題は自分にとって「タイヘンな一大事」です。国政選挙が大事でないとは言わないが、私は憲法については本当に自分で考えて調べて、納得して、自分の一票を投じようと考えはじめたノンポリなんです。一生懸命、改憲の議論もきいたし、護憲の議論もきいたし、本も読んだし、いまだにやっているわけです。はじめは、改憲もありか・・・なんて考えていた。 あっちへ行ったり、こっちへいったり。でもだんだん、だんだん変わってきた。考えに考えた自信はある。結論に近づいた。「よかったなー俺、死ぬまでに一票入れる時がきたら自信を持って憲法9条を守ると入れることが出来る。」と考えています。
改憲賛成の方が護憲派より多いという。しかし「9条は変えない」派は多数派である。これはネジレ現象であるが、考えようでは日本人の感覚はマトモともいえる。本当に大事なのは、九条ですから。「九条だけはダメダヨ!」ということ。まだ希望はある。
参考図書
「南京事件」秦 邦彦著 1986刊 中公新書
「南京事件--体験者27人が語る虐殺の「その時」とその後の人生」2006刊 高文研
「私の見た南京事件」 奥宮正武著 1997刊 PHP研究所
「浮島丸釜山港へ向かわず」 金 賛汀著 1984  講談社刊
いずれも、近くの図書館、分館、公民館図書室にリクエストすれば、借りられます。
おすすめ 新刊 「憲法「私」論」
みんなで考える前に一人一人が考えよう
水島 朝穂著 小学館 2006.5.10刊 2,000

ニュースレター第7号(2006.5.19発行)

第1回「語り継ぐ会」開催
「若葉・九条の会」は2005年5月に発足以来、講演会、学習会、コンサートなどをみつわ台公民館で行ってきました。<世界に平和をつくりだしたい、日本を戦争する国にしてはならない>と願う私たちの輪(和)を広げてきました。2006年度は、月1回の定例会を「シリーズ・語り継ぐ」として、地元千葉在住の先輩方にお話を聞く予定です。
第1回は、去る4月23日本会の監事でもある伊藤清さんの戦争体験のお話で、19名が参加、時間をオーバーするほど、熱のこもったミーテイングでした。
歴史とメモ 1937年7月:盧溝橋で日中両軍衝突 日中戦争始まる 同年12月:南京攻略1941年:伊藤さん入隊(初年兵)同年12月:真珠湾攻撃 日米開戦1942年:伊藤さん中国戦線(湖北省)に:中国ゲリラ襲撃激化 戦争泥沼化1944年:南方でも日本軍敗退 「玉砕」「転進」などの情報1945年8月:米軍,ヒロシマに原爆投下8月16日:敗戦を知る銃声のしない太陽の下で「生きている喜びを噛みしめた」。徹底的に暗記させられ、間違えると鉄拳制裁であった「軍人勅諭」を燃やした時はうれしかった。1946年6月まで捕虜収容所 同月帰還
「戦争で被害を受けた。つらい目をみた。もう戦争はこりごりである。だから憲法9条を守りたい」こう思うことは、大切なことだと思いますが、今日は私たち日本人が中国でどれだけ中国の人々に被害を与えたか、ひどいことをしたか、その加害者の立場から平和の大切さを忘れてはならないことを話します。
殺し、殺されるのが戦争。人間の死が日常的な出来事になる。恐怖心、仲間の死により敵に対して憎しみ、復讐心がわく。軍隊では上級者から殴られ痛めつけられるから、下級兵士はより弱い女、子ども、老人に暴力的になる。相手は中国の貧しい農民。教え込まれた差別意識もある。民家に押し入って略奪、放火、強姦を平然と行うようになる。
見せしめのために、農夫を妻、子どもたちが命乞いをする目の前で、焼き殺すこともした。<戦場で人間が変わる。人間でなくなる>家庭にあっては平凡な父、やさしい夫、親思いの子であった者が中国人を虫けらのように殺すように何故なったか。戦場での日本軍の残虐な行為は、幼少年期から教えられた教育勅語、成人に達すると軍人勅諭により忠君愛国教育が徹底して行われた。天皇のために死ぬことが最高の名誉と心得る肉弾ロボットがつくられた。天皇から授かった菊の紋章がついた武器、兵器のほうが兵隊1人の命よりも大事とされた。人間の尊厳など無。 好戦的な物語、手柄話、民族的優越感、アジア諸国の民衆に対しての蔑視が植え付けられた。少しの疑問を持つことも許さない。疑問をもつ自由がない。思想、良心の自由を奪った。戦場では人間が人間でなくなる・・・このことを忘れてはならない。
憲法9条は人類が到達した叡智だと思う。戦争放棄、軍備全廃は犠牲となった中国人、アジアの人々への日本人からの「ふたたび戦争はしません」という誓約である。

※話し合いの中から
▼戦争の「昭和」を子どもたちにどうやって伝える か。学校教育で教えてきたのか。◇ 教えてきた実践は、沢山あるけれども、これでよいとは思えない。歴史の授業は古墳時代から始まるから、一番大事な近、現代を丁寧に教えることが困難である。
▼どうしたら、子どもたちに伝わるか。写真、絵を使った実践もあるが、学校教育だけの問題ではないと思う。いま、私は、日本人は50年、なにをしてきたのかと自問している。
◇「南京大虐殺」について今又問題になっており、虐殺はなかった、数字は捏造という 論までありますが、私の子どもの頃の記憶が実はあります。私の家(今の川戸地域、当時、松林があり空気が良いため結核療養所がいくつかあった)に東京から女の人が、結核の療養にきていました。夫と言う人は一度も見舞いに来ず戦争が終わったときに初めてきました。その人は従軍記者で、家の私の両親と話しているのをききました。南京で皇軍が大変なことをした。世界中で大問題になっている。各国の記者は「南京事件」を本国に打電しているなかで、日本人の記者だけに情報が遮断されていたと。日本の新聞、日本人だけが知らされなかったのだとあとから、気付きました。▽ 復員してきた人が、はなしているのをききました。強姦なんかあさめしまえだと中国の女の人は、顔に墨をぬっていました。下半身には強姦を免れるために大便をぬってた。
◆下北半島には戦争中、鉄道工事、ドック建設などに従事する朝鮮人飯場が多数あった。敗戦直後朝鮮へ送り返すことになった朝鮮人3,700人を乗せた「浮島丸」が釜山には行き着かず、何故か舞鶴港で沈没した事件がある。大湊周辺では、鉄道の枕木一本一本は、朝鮮人一人一人のからだだといわれたという。子どもの頃きいたことです。どういうことだったのか知りたい。
◇今の「憲法を変えよう」という問題は自分にとって「タイヘンな一大事」です。国政選挙が大事でないとは言わないが、私は憲法については本当に自分で考えて調べて、納得して、自分の一票を投じようと考えはじめたノンポリなんです。一生懸命、改憲の議論もきいたし、護憲の議論もきいたし、本も読んだし、いまだにやっているわけです。はじめは、改憲もありか・・・なんて考えていた。 あっちへ行ったり、こっちへいったり。でもだんだん、だんだん変わってきた。考えに考えた自信はある。結論に近づいた。「よかったなー俺、死ぬまでに一票入れる時がきたら自信を持って憲法9条を守ると入れることが出来る。」と考えています。 
改憲賛成の方が護憲派より多いという。しかし「9条は変えない」派は多数派である。これはネジレ現象であるが、考えようでは日本人の感覚はマトモともいえる。本当に大事なのは、九条ですから。「九条だけはダメダヨ!」ということ。まだ希望はある。
参考図書「南京事件」秦 邦彦著 1986刊 中公新書「南京事件--体験者27人が語る虐殺の「その時」とその後の人生」2006刊 高文研「私の見た南京事件」 奥宮正武著 1997刊 PHP研究所「浮島丸釜山港へ向かわず」 金 賛汀著 1984  講談社刊いずれも、近くの図書館、分館、公民館図書室にリクエストすれば、借りられます。おすすめ 新刊 「憲法「私」論」みんなで考える前に一人一人が考えよう水島 朝穂著 小学館 2006.5.10刊 2,000

ニュースレター 6
第6号(2006.3.15発行)
新春コンサート開催
こどもたちに戦争のない平和な世界を!
「新春/平和の集い」の当日(1月22日)は、前日降り積もった雪が凍りつく寒い日曜日でした。この日のために歌手の浪岡浩子さんとピアニストの木村佐穂子さんは、何度も練習や打ち合わせを重ねてきました。お金をかけない手作りのコンサートですから演奏者へのお礼はなく、会場も音響効果の良くない公民館の講堂です。盛会への願いと裏腹に観客は集まるだろうかという不安もありました。でも、いざ蓋をあけてみると80名もの人が集まり、うっとりとするような歌とピアノの曲が会場を満たし、ゆるやかな時間が流れてゆきました。高校生の平和メッセージも聞く人に感動を与えました。会の成功は皆の力の結集によって齎されたのだと思います。        本間陽子
新春のつどいを終えて
若葉・九条の会の皆様、そして当日ご参加くださいました皆様、あいにくの天候だったにもかかわらず、良い出会いに恵まれましたことを心より感謝申し上げます。世話人の方々のご苦労にも本当に頭の下がる思いでございます。
音楽の“生”の力にふれて頂くことで一人でも多くの方々と平和の尊さを共感できましたことは、私に取りましてもこの上ない喜びでございました。今後も皆様と共に憲法九条を守りぬいてゆきたいと願っております。浪岡浩子
アンケートから
25名の方がアンケートをよせて下さいました
♪コンサートについて
・ 選曲が大変良かった
・ 心にしみる歌のかずかずでした
・ しっとりとした気分のコンサートでした
・ ピアノ伴奏もよかった。自由に歌い、自由に意見を発表できる、当たり前のことができる世の中こそ大切
・ 歌がすばらしかった
・ 解説と浪岡さんのひとことが、歌をさらに印象深いものにした
・ 浪岡さんのうたう声から平和を願う気持ちが伝わってきました
・ クラシック音楽フアンにとり、大変良い企画でした
・ 自然体で共感できた
・ なつかしい歌、そうして新鮮な感じ
全体を通して
・ 楽しいひとときでした
・ 心、あたたかな感じ
・ 平和なればこそと幸せを感じた
・ 平和の大切さを実感しました
・ 楽しいことをしながら、大切なことをきちんと伝えていく雰囲気がよかった。詩の朗読がよかった
・ 「憲法」を読んだことが「よい締め」だった
・ 学習会と思って来たら歌のプレゼント。そそっかしい自分のうれしい時間でした
高校生による平和メッセージ
・ 自分の言葉できちんと語っていた
・ 若い人の声を聞く機会がこのごろ少なかったので、印象深いよいメッセージ
・ 三人の若い人たちがしっかりと自分の考えをつたえてくれたことに感銘を受けました。大人がきちんと若い人たちにわかるように伝えることをしていけば、このように、率直に対応してくれると思います
・ こんなにも平和にたいして感じている高校生がいる。胸つまる思いです
・ 頼もしい三人の高校生
・ 若い人に未来を感じ、未来をたくせる
・ 緊張しました。気持ちが伝わったかな(高校生)
・ 本当にたくさんの人が平和をねがっているんだなと、あらためて思った
・ 大切な人を戦争で失いたくありません。むだな命などないことを、忘れないで!
・ 今のこの時間は平和がなかったら、ないものなんだなとすごく感じました
・ あらためて平和について考えることが出来ました(高校生)
・ できたらまたこのような会を開催してください
_  あなたのメッセージを
・ こどもたち、孫の世代に平和な世界、平和な日本を遺したい
・ 今危機的な状況にあるとわかりながら、なかなか行動できないが、平和のためにできることから、少しでも行動に移していきたい
・ 九条あっての平和。日本だけでなく世界の平和を願う人々、すべてにとって「日本国憲法第9条」はたからもの。
・ 戦争体験を後輩たちにさせたくない
・ 一人ひとりが声を出すことでしょうか。平和と幸せのためには、憲法九条が大切だと
・ 戦後60年、戦争しなかったことは、平和憲法があったため。世界に日本が誇れる唯一のもの。
・ 戦争は二度としてはならないと強く思った
・ 平和のありがたさ、をあらためて感じました
・ 小さな点が、手をつなぐことで、あちこちに”自分の言葉で九条を話そう“の広がりを!
・ 「憲法を守る」草の根のような集い、その一つの輪に入れて良かった
勉強会「憲法を「改正」したがる人々と愛国心」
2月26日、城丸章夫千葉大学名誉教授を講師に迎えて標記勉強会をみつわ台公民館講堂において開催しました。生憎の雨模様でしたが27名の参加があり、米寿を過ぎたにもかかわらず約2時間の熱のこもった講演でした。紙面の制約で論点のみ記します。
1.いま教育勅語について研究している。現在の視点から研究する必要がある。例えば、徳、忠あるいは忠節という言葉はあるが、道徳、忠義、愛国心という言葉はでてこない。
2.愛国心を持つのはあたりまえである。戦争を進めたものには愛国心がなかった。これは彼らの敗戦後の生き様を見れば分かる。
3.現在日本を支配しているのは「憲法」「教育基本法」「日米安保」である。始めの二つが「改正」されると、「改正」されないのは「安保条約」だけになる。その結果、自衛隊は米軍の指揮の下に事実上統合され、米国の第一線、旅団(直ぐに出撃する部隊)になる。
日本の愛国者と称する連中は誰を愛しているのか、誰に忠義を尽くしているのか。
4.米軍は動くものがあれば殺す。いまイラクでやっている掃討作戦はこれである。イラクでは職の無い移民米国人にやらせているが、この役を自衛隊にやらせることになる。
5.外交関係というものはどれ程うそをつくものなのか。まともに政府の発表を信じないで、なぜそうするのかと自分の頭で考える必要がある。相手方の立場に立って考えることが大事である。特に1900年以降の戦争の特徴は戦争の目的が鮮明でなく、目的もころころ変わっていく。日清戦争、日露戦争、太平洋戦争、今はイラク戦争しかりである。ポツダム宣言、ヤルタ会談、日本国憲法制定、対日平和条約も分析しなおす必要がある。
6.戦争に負けるとはどういうことか?今日の日本人はその結果のもとで生きている。米軍機が飛び回っていても不思議に思わない不思議な国民になってしまっている。日本を守ってくれているという人までいる。外国基地がある、それも治外法権的にある。これは侵略以外の何ものでもない。
7.戦後のアメリカの政策をきちんと見て欲しい。アメリカは最初から天皇を利用しようとしていた。アメリカは、沖縄を琉球国としてアメリカの属国に、日本をアメリカの「家来」の国にすることを考えていた。沖縄と日本本土は大きく異なった状況であった。沖縄は米軍の占領下にあり、日本本土は連合国の占領下にあった。
8.日本国憲法は連合国が作った憲法である。積極的に日本の話も聞き取り入れている。教育基本法は殆ど日本側が作った。マッカーサーは、憲法は連合国の立場で作るという立場に立っていた。各国の世論、日本の意見を考慮し、アメリカが勝手に作ってはいない。幾ら立派な憲法が作られても、米軍の占領下のもとでは実質的な発効はしないと考えていた。アメリカの立場からは、早く講和条約を結び、日本を連合国から切り離しアメリカが単独支配する日本にし、安保条約を飲ませたい、そうすればアメリカの「家来」の日本ができると考えていた。安保条約を結んだ場所が、将校集会場ではなく、下士官集会場であったことは象徴的である。(木村忠彦)
§参加者の感想から
・敗戦間際の沖縄戦や敗戦直後のドタバタの裏話にはハッとする発見もあり有意義でした。
・海賊船の旗印が「日の丸」のルーツだったと聞き驚きました。アジア侵略のシンボルとして使われたのもそのルーツ故でしょうか。何となく納得してしまいました。ところでドイツではナチス時代に国旗代わりに使われていたハーケンクロイツ(カギ十字)は連合軍により使用禁止になったそうですが、「日の丸」が生き伸びたのは何故なのでしょうか。知ってる方は教えてください。
・武士の世界には忠と義(君子からのリターン)があったが軍人勅語は恩のみ求めた。この話にはますますヤラズ・ブッタクリになってきたサラリーマン世界に共通するものを感じてしまいました(もっと後の時代に生きたかった・・)
・火をもって火を消すことはできない。正規軍が勝っても国民の抵抗により敗退するとベトナム戦争の事などを例に取りながら戦争の愚かさを語った点に共感を覚えました。イラク戦争の顛末が予測できますね。中国古代の孫氏も戦争をしないのが最大の「ヒューマンセキュリティー」と説いたそうですが、今を生きてれば9条の会に賛同しているでしょうね。
・戦後日本の「国のかたち」を作ってきたのは、平和憲法と日米安保条約のダブルスタンダードであった事が判りました。一方のスタンダードを貫徹するには9条が障害になっていることも。
・戦争と教育に関してもう少し聞きたかった。何故なら戦争を合法化したとしても。それをバックアップする国民の心の動員に成功しなければ、仏を作って魂を入れずとなるだろうから。
・戦争を推進した愛国者と阻止しようとした愛国者がいたが、前者は戦後裏切ったのが多数いた。自分の国への思いとおなじみて、他国を尊重できたなら「鬼畜米英」という言葉は生まれなかったと思います。

ニュースレター 第6号(2006.3.15発行)

新春コンサート開催こどもたちに戦争のない平和な世界を!
「新春/平和の集い」の当日(1月22日)は、前日降り積もった雪が凍りつく寒い日曜日でした。この日のために歌手の浪岡浩子さんとピアニストの木村佐穂子さんは、何度も練習や打ち合わせを重ねてきました。お金をかけない手作りのコンサートですから演奏者へのお礼はなく、会場も音響効果の良くない公民館の講堂です。盛会への願いと裏腹に観客は集まるだろうかという不安もありました。でも、いざ蓋をあけてみると80名もの人が集まり、うっとりとするような歌とピアノの曲が会場を満たし、ゆるやかな時間が流れてゆきました。高校生の平和メッセージも聞く人に感動を与えました。会の成功は皆の力の結集によって齎されたのだと思います。                                        本間陽子

新春のつどいを終えて
若葉・九条の会の皆様、そして当日ご参加くださいました皆様、あいにくの天候だったにもかかわらず、良い出会いに恵まれましたことを心より感謝申し上げます。世話人の方々のご苦労にも本当に頭の下がる思いでございます。音楽の“生”の力にふれて頂くことで一人でも多くの方々と平和の尊さを共感できましたことは、私に取りましてもこの上ない喜びでございました。今後も皆様と共に憲法九条を守りぬいてゆきたいと願っております。         浪岡浩子

アンケートから
25名の方がアンケートをよせて下さいました
♪コンサートについて・ 選曲が大変良かった・ 心にしみる歌のかずかずでした・ しっとりとした気分のコンサートでした・ ピアノ伴奏もよかった。自由に歌い、自由に意見を発表できる、当たり前のことができる世の中こそ大切・ 歌がすばらしかった・ 解説と浪岡さんのひとことが、歌をさらに印象深いものにした・ 浪岡さんのうたう声から平和を願う気持ちが伝わってきました・ クラシック音楽フアンにとり、大変良い企画でした・ 自然体で共感できた・ なつかしい歌、そうして新鮮な感じ
全体を通して・ 楽しいひとときでした・ 心、あたたかな感じ・ 平和なればこそと幸せを感じた・ 平和の大切さを実感しました・ 楽しいことをしながら、大切なことをきちんと伝えていく雰囲気がよかった。詩の朗読がよかった・ 「憲法」を読んだことが「よい締め」だった・ 学習会と思って来たら歌のプレゼント。そそっかしい自分のうれしい時間でした
高校生による平和メッセージ・ 自分の言葉できちんと語っていた・ 若い人の声を聞く機会がこのごろ少なかったので、印象深いよいメッセージ・ 三人の若い人たちがしっかりと自分の考えをつたえてくれたことに感銘を受けました。大人がきちんと若い人たちにわかるように伝えることをしていけば、このように、率直に対応してくれると思います・ こんなにも平和にたいして感じている高校生がいる。胸つまる思いです・ 頼もしい三人の高校生・ 若い人に未来を感じ、未来をたくせる・ 緊張しました。気持ちが伝わったかな(高校生)・ 本当にたくさんの人が平和をねがっているんだなと、あらためて思った・ 大切な人を戦争で失いたくありません。むだな命などないことを、忘れないで!・ 今のこの時間は平和がなかったら、ないものなんだなとすごく感じました・ あらためて平和について考えることが出来ました(高校生)・ できたらまたこのような会を開催してください
あなたのメッセージを・ こどもたち、孫の世代に平和な世界、平和な日本を遺したい・ 今危機的な状況にあるとわかりながら、なかなか行動できないが、平和のためにできることから、少しでも行動に移していきたい・ 九条あっての平和。日本だけでなく世界の平和を願う人々、すべてにとって「日本国憲法第9条」はたからもの。・ 戦争体験を後輩たちにさせたくない・ 一人ひとりが声を出すことでしょうか。平和と幸せのためには、憲法九条が大切だと・ 戦後60年、戦争しなかったことは、平和憲法があったため。世界に日本が誇れる唯一のもの。・ 戦争は二度としてはならないと強く思った・ 平和のありがたさ、をあらためて感じました・ 小さな点が、手をつなぐことで、あちこちに”自分の言葉で九条を話そう“の広がりを!・ 「憲法を守る」草の根のような集い、その一つの輪に入れて良かった

勉強会「憲法を「改正」したがる人々と愛国心」
2月26日、城丸章夫千葉大学名誉教授を講師に迎えて標記勉強会をみつわ台公民館講堂において開催しました。生憎の雨模様でしたが27名の参加があり、米寿を過ぎたにもかかわらず約2時間の熱のこもった講演でした。紙面の制約で論点のみ記します。
1.いま教育勅語について研究している。現在の視点から研究する必要がある。例えば、徳、忠あるいは忠節という言葉はあるが、道徳、忠義、愛国心という言葉はでてこない。
2.愛国心を持つのはあたりまえである。戦争を進めたものには愛国心がなかった。これは彼らの敗戦後の生き様を見れば分かる。
3.現在日本を支配しているのは「憲法」「教育基本法」「日米安保」である。始めの二つが「改正」されると、「改正」されないのは「安保条約」だけになる。その結果、自衛隊は米軍の指揮の下に事実上統合され、米国の第一線、旅団(直ぐに出撃する部隊)になる。日本の愛国者と称する連中は誰を愛しているのか、誰に忠義を尽くしているのか。
4.米軍は動くものがあれば殺す。いまイラクでやっている掃討作戦はこれである。イラクでは職の無い移民米国人にやらせているが、この役を自衛隊にやらせることになる。
5.外交関係というものはどれ程うそをつくものなのか。まともに政府の発表を信じないで、なぜそうするのかと自分の頭で考える必要がある。相手方の立場に立って考えることが大事である。特に1900年以降の戦争の特徴は戦争の目的が鮮明でなく、目的もころころ変わっていく。日清戦争、日露戦争、太平洋戦争、今はイラク戦争しかりである。ポツダム宣言、ヤルタ会談、日本国憲法制定、対日平和条約も分析しなおす必要がある。
6.戦争に負けるとはどういうことか?今日の日本人はその結果のもとで生きている。米軍機が飛び回っていても不思議に思わない不思議な国民になってしまっている。日本を守ってくれているという人までいる。外国基地がある、それも治外法権的にある。これは侵略以外の何ものでもない。
7.戦後のアメリカの政策をきちんと見て欲しい。アメリカは最初から天皇を利用しようとしていた。アメリカは、沖縄を琉球国としてアメリカの属国に、日本をアメリカの「家来」の国にすることを考えていた。沖縄と日本本土は大きく異なった状況であった。沖縄は米軍の占領下にあり、日本本土は連合国の占領下にあった。
8.日本国憲法は連合国が作った憲法である。積極的に日本の話も聞き取り入れている。教育基本法は殆ど日本側が作った。マッカーサーは、憲法は連合国の立場で作るという立場に立っていた。各国の世論、日本の意見を考慮し、アメリカが勝手に作ってはいない。幾ら立派な憲法が作られても、米軍の占領下のもとでは実質的な発効はしないと考えていた。アメリカの立場からは、早く講和条約を結び、日本を連合国から切り離しアメリカが単独支配する日本にし、安保条約を飲ませたい、そうすればアメリカの「家来」の日本ができると考えていた。安保条約を結んだ場所が、将校集会場ではなく、下士官集会場であったことは象徴的である。(木村忠彦)

§参加者の感想から
・敗戦間際の沖縄戦や敗戦直後のドタバタの裏話にはハッとする発見もあり有意義でした。
・海賊船の旗印が「日の丸」のルーツだったと聞き驚きました。アジア侵略のシンボルとして使われたのもそのルーツ故でしょうか。何となく納得してしまいました。ところでドイツではナチス時代に国旗代わりに使われていたハーケンクロイツ(カギ十字)は連合軍により使用禁止になったそうですが、「日の丸」が生き伸びたのは何故なのでしょうか。知ってる方は教えてください。
・武士の世界には忠と義(君子からのリターン)があったが軍人勅語は恩のみ求めた。この話にはますますヤラズ・ブッタクリになってきたサラリーマン世界に共通するものを感じてしまいました(もっと後の時代に生きたかった・・)
・火をもって火を消すことはできない。正規軍が勝っても国民の抵抗により敗退するとベトナム戦争の事などを例に取りながら戦争の愚かさを語った点に共感を覚えました。イラク戦争の顛末が予測できますね。中国古代の孫氏も戦争をしないのが最大の「ヒューマンセキュリティー」と説いたそうですが、今を生きてれば9条の会に賛同しているでしょうね。
・戦後日本の「国のかたち」を作ってきたのは、平和憲法と日米安保条約のダブルスタンダードであった事が判りました。一方のスタンダードを貫徹するには9条が障害になっていることも。・戦争と教育に関してもう少し聞きたかった。何故なら戦争を合法化したとしても。それをバックアップする国民の心の動員に成功しなければ、仏を作って魂を入れずとなるだろうから。・戦争を推進した愛国者と阻止しようとした愛国者がいたが、前者は戦後裏切ったのが多数いた。自分の国への思いとおなじみて、他国を尊重できたなら「鬼畜米英」という言葉は生まれなかったと思います。